12月14日のメッセージ

2025年12月14日「クリスマスの福音③」マタイの福音書

IMG_20221222_125047-1

1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 

7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8 そして、こう言って彼らをベツレヘムへ送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

<救いの星>

本日は◯◯さんの洗礼式ということで、星の箇所を選びました。

ベツレヘムの星と呼ばれ、クリスマスツリーの上に飾られます。

幼稚園のクリスマス劇でも、天使が星を持ち、博士たちを馬小屋へと導きます。

 

この不思議な星、天文学者のヨハネス・ケプラーは、紀元前7年の土星と木星の接近だとしました。興味はつきませんが、幼子の家まで導いたとあるため、神様の奇跡と素直に理解したほうがいいかもしれません。この奇跡には、大きな意味があるのです。

「博士たち」は、マゴス(マジック:魔法・手品の語源)という言葉で、天文学者や占星術師を意味します。(古代において、星には、神の思し召しが表されると考えられていたのです。)

博士たちは、星によって、神の思し召しによって、幼子キリストのところへと導かれたのです。


 立ち止まって考えたいのです。東方の博士の、東方とは、今のイラクあたり、バビロニア帝国のあった地域です。(チグリス・ユーフラテス川あたり)

 つまり、違う国です。違う民族です。違う文化で、違う宗教です。当時のユダヤ人にとっては、避けたり、見下したりする存在でした。それなのに、博士たちは、神の思し召しにより、導かれたのです。キリストと出会ったのです。

 神がキリストに会うようにと導かれたのは、外国人の、異教徒の、博士たちでした。(そして、貧しく見下された羊飼いでした。ユダヤの宗教家でも、王様でも、金持ちでもないのです)

 これは、神が、あらゆる民族を、あらゆる国の人を、どんな文化や宗教を持っていても、愛を持って、招いている証です。マタイは、そのことを福音書の最初に記し、最後には、あらゆる国の人々に良い知らせを告げよというキリストの言葉を記すのです。

 

 後の人は、博士たちを、ガスパール(アジア系・老人・没薬)、メルキオール(ヨーロッパ系・壮年・黄金)、バルタザール(アフリカ系・青年・黄金)と名付け、すべての国のすべての民族のあらゆる世代の人が神様に招かれているという意味を込めました。

 

 今日、世界中で、そして日本ですら、排他主義が蔓延しています。(余談ですが、国立科学博物館の分子生物学による最新研究では、日本人のDNAの8〜9割は、縄文人の住むところに後からやってきた渡来弥生人です。縄文人にとって、私達は外国人、『外来種』だったのです。)

 だからこそ、外国の、異教の博士が星に導かれ、キリストのところへと招かれたことをしっかりと受け止めたいのです。そして、ユダヤ教に改宗せずに、自分の国へと帰っていきました。それでも彼らはキリストに出会ったのです。この箇所は、狭く小さな私達の理解や心を、大きく広げてくれる箇所です。

 

 私達は、星を見て教会に来たわけではありませんが、それぞれに私達を導くために、神の備えてくださった星があると思います。それは、人であったり、本であったり、音楽であったり、出来事かもしれません。大切なのは、今私たちは、それらの星によって、神によって、招かれ、導かれ、ここにいることです。わたしたちは、神が招きたいと願うほどの存在なのです。

<最初のクリスマスプレゼント> 
また、博士の差し出した、世界で最初のクリスマスプレゼントにも意味があります。

 

高価な黄金は、貧しく生まれた幼子が、王様であることを表現しています。

 

神殿で使われる乳香は、この幼子が実は、神であることを表現しています。神がへりくだり、人となってまで、私達に近づいてくださったのです。

 

埋葬に使われる没薬は、この幼子が、やがて私達のために十字架で死んでくださることを意味します。


王であり、神である方が、へりくだり、私達とともにいて、それどころか、すべてを捨て、命まで投げ出してくださる、そのことを意味するのです。

 

私は、このような神ならば信じられる、このような神ならその御旨に従って生きてみたい、と思い、24年前のこの日に信仰を持ちました。

◯◯さんが、みなさんが信じたのは、このような良い神、へりくだる神、愛と憐れみの神です。

あなたを愛し、あなたを招き、あなたのために、いえ、世界のあらゆる、国、民族、文化、宗教の人のために、命を投げ出す神です。

 

この方とともに、歩み、この方の御旨に生きてください。

 

Top