5月22日のメッセージ

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2022年5月22日「おざく台キリスト教会」礼拝  斎藤義信さん 「安心して行きなさい」

Ⅱ列王記5章19節 「エリシャは彼に言った。『安心して行きなさい。』そこでナアマンは彼から離れ、かなりの道のりを進んで行った。」

 

「聖書日課」でⅡ列王記5章「アラムの国のナアマン将軍」の箇所が出てきました。小田切さんが前のメッセージの中で「聖書は実に不思議なことが書かれている書物」と言う紹介がありました。私もそう思います。例えばイエス様の先祖を辿っていきますと、あの赦されがたい姦淫の罪を犯したダビデ王が出てきたり、更にさかのぼりヨシュアの時代にはエリコの町の崩壊の前に斥候に行ったイスラエル人を逃してくれた遊女ラハブと言う女性がいたり、全うな先祖もさることながら社会的常識からも外れ様な人がたくさん出てきます。そして今日の個所はイスラエルと直接繋がりのない異国であるアラムの国の出来事が記されています。

 

 このアラムの国はイスラエルにとりまして様々な理由で侵略したり、されたり、争いの絶えない国でした。このストーリーは言わば敵国のアラムの国の出来事、教会学校などでは「ナアマン将軍の病の癒し」ところに焦点を当てたことでお話されています。彼病であるツァラアが癒される経緯、その後のことから彼の真の神様への信仰の出来事を追いながら現代の私たちに大きな影響を与えているものか、私自身も大いに教えられころです。

 

5/2「アラムはかつて略奪したとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえてきた」とあります。かつてのイスラエルとの様々な戦いの中で侵略、略奪が行われ、彼女もまたその犠牲者として異国の地に連れて来られ、今はナアマンの奥さんに仕えるしもべになっていたのです。

5/3「彼女は女主人に言った。『もし、ご主人様がサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう』」1節にもありますが、ナアマンは王から信頼を受け、民からも評判の人物でした。しかし、その身体はツァラアトに冒されていました。

 それで早速、アラム王に願い出て王の親書と産を準備して、供を携えてイスラエルの王のところに出向きました。するとイスラエルの王は5/7「イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の衣を引き裂いて言った。『私は殺したり、生かしたりすることの神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを治せという。しかし、考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。』」でもそれを聞いたエリシャは5/8神の人エリシャは、イスラエルの王が衣を引き裂いたことを聞くと王のもとに人を遣わして言った『あなたはどうして衣を引き裂いたりするのですか。その男を私のところに寄こしなさい。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう』」と言って連れて来られたナアマンに対してエリシャは何と言ったか。5/10「ヨルダン川に行って7回あなたの身を洗いなさい。」彼の癒しの方法は単純、明快、簡単そのもでした。しかし、ナアマンはエリシャの進言に対して5/11.12「…主の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、治してくれると思った。…またダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか…」ヨルダン川よりダマスコの川の余程きれいで理に適っているはずなのにこんな汚れた川に身を7回浸せば治るはずだと…、とても信じられることではないと怒って帰途に着いてしまいました。しかし、その怒りに任せて帰途に着こうしたナアマンを押しとどめたのは彼のしもべたちでした。5/13『わが父よ。難しいことを、あの預言者はあなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。ナアマンとの長年の主従関係を保ち、彼の性格を知り抜いた上でのしもべの言葉でした。そこでナアマンは降りて行って、7回ヨルダン川に身を浸したところ幼子のようなきよい身体になりました。

 

今までのところから教えられることは第一にアラムの国のしもべたちについてです。初めの5/2に登場してきたイスラエルから略奪され、連れて来られた若い娘の真の神様に対する信仰です。推測の域を出ませんが、彼女は

ナアマンの妻に仕える身でした。連れて来られてどの位、月日が経っているのかわかりませんが、異国、異教地で厳しく辛い立場に置かれながらもイスラエルの自分が信じてきた唯一真の神を忘れずに拝していたことが伺われます。ですからツァラアトに苦しむ主人の最愛の夫に「サマリヤにいる預言者のところに行けば…」と臆せず進言できました。

現在、日本においてクリスチャン人口は昔と変わらず1%との現状維持でしょうか。そういうマイノリテ

ィとしてどこまで私たちはクリスチャンであると宣言できるでしょうか?強いて宣言する必要はありませんが、このしもべの若い娘のように臆せずに真の神の存在を必要なところで明らかにしていきたいと思います。

そしてもう一つ教えられることはナアマンのしもべたちです。エリシャに命じられたことに怒り狂ったナアマンを穏やかに諭し、ヨルダン川に彼の身体を浸させたしもべたちです。彼らの立場は将軍に仕え、忠実、忠誠を第一にする人たちでした。真偽を問われるときに正しいこと何か、間違っていることは何か、正確に判断できる人たちが、リーダーの家臣には必ず必要なのです。リーダーが明らかに間違っている判断をしたときにも冷静にその誤りを進言できるそういう人が居ることどこの組織、あるいは国家も必要とされるのではないでしょうか。

そしてその後のナアマンが、真の神に仕える信仰のつまずきになるような事柄がやはり出てきました。18節「…私の主君がリンモンの神殿に入って、そこでひれ伏すために私の手を頼みにします。それで私もリンモンの神殿でひれ伏します…どうか。主がこのことについてしもべをお赦しくださいますように」言うことでした。ナアマンは王に対して忠実でしたから異教の神リンモンを王が礼拝するときにの役割として、同行して介助しながら同じ礼拝の姿勢をとらねばなりませんでした。ナアマンにとってはイスラエルの真の神を信じ、仕え始めたのですから「もう一緒に礼拝の姿勢をとることはできません。」と王にきっぱり言うことが出来たかどうか、難しいところだと思いますが、彼の悩みがここで生まれたのでした。しかし、その後にエリシャの言葉がありました。19節「エリシャは彼に言った。『安心して行きなさい。』そこでナアマンは彼から離れ、かなりの道のりを進んでいった」 ナアマンはアラムの国に戻った後の、国家との「しがらみ」と言うこともここから察するところ続けて異教の神々の礼拝の場に出ることがあっても「安心して行きなさい」と言う神様の完全な許しが、そして赦しが働くことを確認できたのではないでしょうか。

 

日本においても「信教の自由」という言葉の中一般社会の中で宗教を特別視することはなかなか難しいところがあります。例えば知人や親族の葬儀において、「私はクリスチャンですから出席しません」 という態度は、様々な誤解を生むことにつながります。むしろ、愛と敬意を表すために、裏方で精いっぱいお手伝いをしたり、焼香に変えて献花や祈りをさせていただいたり、場合によっては、葬儀の形式にそのまま従ったり、など様々な対応があるでしょう。大切なのは、ナアマン将軍のように神と人とを愛する姿勢で向き合うことであり、神様はその時に「安心していきなさい。」と応えて下さいます。

私も永らく建設業界に携わる人間として建造物の基礎工事をする前に必ず地鎮祭、起工式を行います。また新年には1年の安全を願い、安全祈願祭が持たれます。役職に就きますと必ず出席を余儀なくされます。初めのうちは避けるようにしていましたが、そういう訳にもいかなくなり、出席させていただきながらこの他宗教に対して否定したり、出席する自分を卑下したりするのではなくこのような方法を受け入れながら、しかし、真の愛のと赦しの神に祈りながら参加するようにしています

ナアマン将軍が初めからそういう状況になることを承知の上で預言者エリシャに進言を求めたのか、わかりませんが、これはいつの時代でも私たち日本の少数クリスチャンの中には残される問題です。昔の牧師先生の中にはそういうところには絶対反対という事を言っている人もいましたが、今の多様性と言うの時代の中で適切かどうか分かりませんが、協調できるところはお互い受け入れ合ってを高める事だと思います。

英語ではこの19節の「安心して行きなさいと言う言葉が「シャローム」と言われていまして「主の平安」と訳すことが出来ると思います。

今週も「主の平安、平和」を願いながら主の良くしてくださることを何ひとつ忘れずに与えられた立場、持ち場で歩んでいきたいと思います。

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