毎日の聖書(8月30日~9月5日)

おざく台教会毎日の聖書 8月30日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

8月30日(月)レビ記24章

16節「主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。」

神を冒涜するものは殺される・・・少し残酷な気はしませんか?しかし、自分を救ってくれた神様を冒涜するものは、すでに魂が死んでいて、またほかの人の魂をも滅ぼしていくのです。そして、神を軽んじ、侮り、平気で背く性質が私達の内側にはあるのです。

どうか「神を畏れ」(伝道者12:13)ることを教えてください、そう祈らされます。

 

「罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。」伝道者の書8章12節

 

 

8月31日(火)レビ記25章

2節「わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は主の安息を守らなければならない。」

民は土地を得ますが、その地を好き勝手には出来ませんでした。その地は民に与えられながら、究極的には主のものでした。私達に与えられた命も、時間も、お金も、力も、立場も、家族も、教会も、あなたの持つ全てはじつは主のものなのです。ですから、神の良い目的のために用いてください。

神はこの世界を正しく管理するという大切な役目をわたしたちに与えてくださったのですから。

 

「神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」創世記1章28節

 

 

9月1日(水)レビ記26章

3節「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、」

26章は祝福(3~13節)と呪い(14~39節)とが語られます。祝福を受ける人と呪いを受ける人との違いは、神を愛し、その心に(言葉に)従ったかどうかです。今日あなたが従うべき聖書の言葉は何でしょう?あなたは祝福を選んでください。

 

「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節

 

 

9月2日(木)レビ記27章

33節「その良い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。もしそれを替えるなら、それもその代わりのものも共に聖なるものとなる。それを買い戻すことはできない。」

神に、手放しなさい、わたしに返しなさい、と言われたものは、惜しんではなりません。言葉の通り、そのまま手放すのです。あなた自身、あなたの所有物、全ては主のものであり、神がしなさいということにはかならずあなたを祝福したいという神の意図があるのですから。あなたは握りしめ過ぎているものはありませんか?

 

「イエスは言われた。『それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。』」マタイ22章21節

 

 

9月3日(金)民数記1章

46節「すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。」

年老いたアブラハムの子孫が増える、という神の約束の実現は、民数記にも記されています。カタカナと数字がいっぱいですが、神様の真実さと全能の力を表現する章なのです。

アブラハムを祝福し、アブラハムを通して周囲を祝福した神は、今日あなたと共にあり、あなたを祝福しようとしておられるのです。

「信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。・・・このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」ガラテヤ3章9&14節

 

 

9月4(土)民数記2章

2節「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。」

民数記には強く大きくなった民の姿が記され、数字は人の多さは、神様の約束の実現を表しています。乏しかったものが、小さかったものが、豊かに大きくされる、これも祝福の一つの形です。

同時に、旧約でも、イザヤやエレミヤなどのように、神と親しく歩みつつも、乏しさや苦しみの中に常にあった人々もいます。あなたは、目に見える数字や能力にばかりに目と心を奪われていませんか。神の祝福の形は豊かであり、最大の祝福とは、神様が共にあることなのですから。

 

「主よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。」詩編142篇5節

 

 

9月5日(日)民数記3章

12節「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。」

レビ部族、自分たちの土地を持つことはできませんでしたが、幕屋を管理し、祭司の奉仕のために選ばれ、聖別されて、神様のものとして見られました。一般的な祝福とは違いますが、神と共にいて、神に仕える祝福がありました。わたしたちもまたレビ部族のように神に選ばれた存在です。第一コリント6:19-20を読んで、神様に選ばれたその目的を確認してみてください。

 

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」第一コリント6章19~20節

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