6月28日~毎日の聖書

おざく台教会毎日の聖書 6月28日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

 

6月28日(月)出エジプト記1章

12節「しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がった。」

この一文の背後には、ご自分の民を見捨てない神の助けがありました。苦しめられれば苦しめられるほど、神の御手はいよいよ強く神の民に伸ばされました。あなたも苦しめられていますか?同じ神の御手は今あなたに伸ばされています。

 

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」第二コリント1章4節

 

 

6月29日(火)出エジプト記2章

23~25節「イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。 神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。」

民は「うめき、わめいた」のです。立派な祈りの形式をなしてはいません。しかし、その叫びは神に向けられていました。神は言葉にならない祈りを聞かれる方です。あなたの心は、叫びは、神に向けられているでしょうか?

 

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」エレミヤ書33章3節

 

 

6月30日(水)出エジプト記3章

12節「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。」私達の神は派遣する神です。私達は、神の善い御心が行われるために(それを「神の国」と言います)、それぞれの場へと日々送り出されているのです。神に送り出されたあなたの場へ、今日もいってらっしゃい。一人ではありません。モーセと共にあったように、神はあなたと共にあります。

 

「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる」詩篇121篇8節

 

 

7月1日(木)出エジプト記4章

11~12節「だれが人に口をつけたのか。だれがおしにしたり、耳しいにしたり、あるいは、目をあけたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。 さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」

私たちは何ために口を、喉を、与えられたのでしょうか?神の愛を伝え、神の善い計画を分かち合うためです。今日、あなたの口を、神のために用いてみましょう。話すことに不安がありますか?大丈夫。神様が共にあり、その言葉すらも教えてくださるのです。

 

「何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配するには及びません。 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」ルカ12章11~12節

 

 

7月2日(金)出エジプト記5章

22節「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。」

神に従った結果、状況が悪くなったように見える時があります。しかし、それでも、神に従って歩むのを、諦めないでください。「わたしが・・・しようとしていることは、今にあなたに分かる。」(6:1)時が必ず来るのです。今の困難の先には、神の計画してくださっていた最善が待っているのです。

 

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」箴言19章21節

 

 

7月3(土)出エジプト記6章

30節「ご覧ください。私は口べたです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」

悪魔は、自分や他人の弱さ、欠け、足りなさへと、目を向けさせます。一方、神はそれぞれの使命(7:1~5)へと目を向けさせます。あなたは、出来ない理由にばかり目を向けてはいませんか?もちろんリスク管理は大切です。けれど、それが神の使命を忘れさせてはいませんか?成し遂げてくださるのは、神なのです。

 

「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。」箴言21章1節

 

 

7月4日(日)出エジプト記7章

7節「彼らがパロに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。」

サラの超高齢出産、モーセとアロンの晩年の働き、これらは人間の力によらず、神ご自身の御力が表されるためのタイミングでした。私達の生涯は、最初は知識や力など多くのものを手にしていきますが、やがてそれらが手から離れて行くことになります。

けれど、あなたの内に、周りに、力がなくなっても大丈夫です。頼りとなるものが失われ、神にしか頼れなくなった時こそ、神の力が発揮される好機なのです。

 

「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」第二コリント12章9節

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