毎日の聖書(6月21日~)

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おざく台教会毎日の聖書 6月21日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

 

6月21日(月)創世記44章

33節「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」

20年前にヨセフを奴隷として売る提案をしたのはユダでした。しかし今、ユダは自分から身代わりに奴隷になると言いました。神の恵みにより、あなたは、人は変えられるのです。どうかあきらめないでください。

そしてこのユダこそが、イスラエルの中で祝福を受け継ぎ、その家系にやがてダビデやソロモンが生まれ、その子孫ヨセフの子として、イエス様がお生まれくださったのです。

 

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」第二コリント3章18節

 

 

6月22日(火)創世記45章

8節「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」

ヨセフの体験した悲惨な出来事の数々・・・兄弟の裏切り、奴隷生活、囚人生活、忘れられた2年間・・・その背後には神のご計画がありました。そして、それは人々の救いへとつながったのです。私達の直面する出来事にももしからしたら神のご計画があるのかもしれません。そして、いつか「実に、神なのです。」と私たちも言える日が来るのかもしれません。

 

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ書29章11節

 

 

6月23日(水)創世記46章

33節「パロがあなたがたを呼び寄せて、『あなたがたの職業は何か』と聞くようなときには。」

あまり答えたくない質問がありますか?誤魔化したり、偽ったり、自分に都合よく答えたりしてはいませんか?(自分の信仰についてとか、自分の過去についてなど)しかし、恐れを超えて、真実を答えるなら、人は神により祝福を受けることもあるのです。

 

「彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」マルコ13章11節

 

 

6月24日(木)創世記47章

7節「ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。」

創12:3や27:29を思い出します。パロはヤコブを祝福し、神はエジプト全土を祝福します。神の民を祝福する者を神は祝福し、私達のろう者を神はのろわれます。そして、私たちは、どんな人のことをも祝福するために、先に選ばれたのです。

 

「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」ルカ6章28節

 

 

6月25日(金)創世記48章

19節「しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう。」

時に神は、人間の願い、都合、常識に反することをなさいます。(当時は、兄のほうが弟よりも良い扱いを受けるべきと考えられていました。)しかし、大切なのは、神のご計画の前にひれ伏し、神のなさる御業を期待をもって受け入れ楽しむ姿勢です。神様の計画は良いものなのですから。

では、私達の心の中に、神の御業を受け入れる余白(スペース)はありますか?

 

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」伝道者の書3章11節

 

 

6月26(土)創世記49章

28節「彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えられた」

12人の息子達、皆が欠けだらけでしたが、とくに厳しく咎められているのは、欲や怒りにかられたルベン(長男)、シメオン(次男)、レビ(3男)でした。それゆえに長男が受けるべき祝福は、彼らを通り越し、4男のユダへと受け継がれました。

ジョン・ウェスレー(メソジスト派を生んだイギリスの巡回説教者)は、「こんにちは」の代わりに、「悔い改めましたか?」と挨拶したそうです。私たちは愚かな罪人ですが、少しでも誠実な生き方を求めて歩めますように。

 

「し、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」Ⅰヨハネ1章9節

 

 

6月27日(日)創世50章

19節「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。」

いよいよヨセフにとっては積年の恨みを晴らすチャンスです。しかし、ヨセフは、兄弟達に復讐をしませんでした。エジプトの大臣と言う素晴らしい立場を得ていることや、兄弟たちの悔いる姿を見たこともあるでしょうが、何よりも、怒りも裁きも神のもの(ヤコブ4:12)と知り、人生の主導権を、神に明け渡していたからです。私たちは、主導権を神様に、明け渡していますか?

 

「律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」ヤコブ4章12節

 

 

 

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