今週の聖書(6月14日~)

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おざく台教会毎日の聖書 6月14日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

 

6月14日(月)創世記37章

3節「イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。」

ヨセフは、イエス・キリストのひな形であると同時に、クリスチャンのひな形です。ヨセフ一人を特別扱いするヤコブ(イスラエル)の態度は親としては不適格ですが、ここにはある意味で真理が隠されています。聖書の神は偏愛の神とも呼ばれます。小さな者、悲しむ者、片隅に追いやられた者を特別扱いし、小さな、みずぼらしいイスラエル民族を豊かに顧みてくださいました。人々が嫉妬を覚えるほどに、神はあなたを愛してくださるのです。

6月15日(火)創世記38章

26節「ユダはこれを見定めて言った。『あの女は私よりも正しい。』」

遊女の真似事をしたタマルは、人の目には正しく見えません。しかし彼女ただ一人が、神の救いの計画のために、子孫を残そうとし、かみはそれを信仰の現れだととらえました。そして、マタイの福音書の系図には、「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」(マタイ1:3)と、しっかりと彼女の名が記されているのです。あなたは人の目に正しいことを大切にしていください。それ以上に、神の目に正しいことを大切にしていください。

 

 

6月16日(水)創世記39章

9節「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」

上手くやれば人の目を誤魔化し、罪を隠し通せるかもしれません。しかし、ヨセフは神様の目を気にし、誘惑を拒みました。私たちも神様の目を意識して今日の一日を誠実に歩めますように。

6月17日(木)創世記40章

23節「ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。」

親しい人や友人、家族にさえ、見捨てられ、神様に忘れられていると感じることがあるかもしれません。しかし神様の最善の時は「二年の後」(41:1)だったのです。神様は決して私たちを見捨てず、私たちを離れません(へブル13:5)。

 

6月18日(金)創世記41章

46節「ヨセフがエジプトのパロに仕えるようになったときは三十歳であった。」

ヨセフは17歳の頃に兄弟たちに裏切られエジプトで約13年間の奴隷生活と監獄生活を送りました。しかし、その間ずっと「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し」(39:21)てくださっていました。人生の冬を通る時も、主は共におられます。

 

 

6月19(土)創世記42章

9節「ヨセフはかつて彼らについて見た夢を思い出して、」

約20年前に見た夢(37章)が現実となりました。「神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるのです。」(1.ペテロ5:6)神のちょうどよい時を忍耐して待つ気はありますか?それを信仰と言うのです。

 

6月20日(日)創世43章

14節「私も、失うときには、失うのだ。」

ヤコブは持ち前の悪賢さで自分の人生を切り開き、制御しようとしました。しかし、家族が崩壊し、息子を失い、一族滅亡の危機に瀕したところで、やっと人生の主導権を手放しました。そこから神の恵みが溢れ、祝福の道が開けたのです。

 

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