今週の毎日の聖書(6月7日~)

おざく台教会毎日の聖書 6月7日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

 

6月7日(月)創世記30章

1節「ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。『私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。』」

子孫とは神様からの祝福の一つです。しかし人間は神様からの祝福すら、比較や争いの材料としてしまいます。どうか忘れないでください。あなたを本当に満たせるのは、神からの祝福ではなく、祝福の源である神ご自身です。土地を求める人々の中で、神を求めた詩人の祈りに心を合わせて一日を過ごしてみてください。

 

「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。」詩篇142篇5節

 

 

6月8日(火)創世記31章

7節「あなたがたの父は、私を欺き、私の報酬を幾度も変えた。しかし神は、彼が私に害を加えるようにされなかった。」

ラバンの気まぐれや欺きに振り回され続けたヤコブ。"しかし”最後まで神の守りがありました。人や状況に悩まされることもあるでしょう。"しかし”今日も明日も、永遠まで、あなたは神の守りの中にあるのです。

 

「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。  主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」詩篇121篇4~8節

 

 

6月9日(水)創世記32章

26節「するとその人は言った。『わたしを去らせよ。夜が明けるから。』しかし、ヤコブは答えた。『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。』」

ヤコブは、嘘つきで狡猾、周囲が見えず、家庭を治める技量もありません。しかしヤコブにキラリと光るところがあるとすればそれは、神にすがりつく、この"しつこさ”です。彼は人からも、神からも、見境なく欲しがり、求めますが、動機はどうあれ、まことの神にしつこく求めたことが、彼を祝福へと導きます。私たちもしつこく神に求めたいのです。祈りを止めては、もったいないのです。

 

「求めよ、然さらば與へられん。尋たづねよ、さらば見出みいださん。門もんを叩たゝけ、さらば開かれん。」ルカ11章9節(文語訳)

 

 

6月10日(木)創世記33章

11節「『どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。』ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。」

神がヤコブを恵まれたのは、その行いへのご褒美ではなく、アブラハムの子孫を祝福するとの約束のゆえです。私たちも、行いや心がどれだけ汚れねじ曲がっていても、キリストの一方的な恵みによって幸いを得ているのです。神はあなたに何を恵んでくださいましたか?与えられた幸いを一つ一つ数えて、感謝の祈りをささげてみてください。

 

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」詩篇23章6節

 

 

6月11日(金)創世記34章

7節「人々は心を痛め、ひどく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥ずべきことを行なったからである。このようなことは許せないことである。」

怒りにまかせ剣を取った息子達。事を荒立なかった半面、状況をコントロール出来なかったヤコブ。確かに著者の言うように許しがたいことではありますが、実際の対応としては何が最善だったのでしょうか?(この出来事により2人の息子たち、シメオンとレビは、祝福を受け告げず、4男のユダが、継ぐことになります。)

私たちは正解が分からない状況に多く直面します。聖書には、私たちと全く同じ状況は記されていません。けれど、聖書にはキリストが示されています。イエス様ならどうするでしょうか?祈り、聞き、キリストの歩みに従ってみてください。

 

「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」Ⅰペテロ2章21節

 

 

6月12(土)創世記35章

1節「神はヤコブに仰せられた。『立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。』」

生命、家庭、経済など、たくさんの問題がヤコブの周りに起きた時、神は最初の出会いの場所ベテル(28章)での礼拝へと招きます。問題に直面した時、神は礼拝へと、はじめの愛(黙示録2:4~5)へと、私たちを招きます。あなたは今何に直面していますか?神はあなたをご自身のもとへと、より深く出会うようにと、招いておられます。

 

「あなたは初めの愛から離れてしまった。 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」黙示録2章4~5節

 

 

6月13日(日)創世記36章

7節「ふたりが共に住むには彼らの持ち物が多すぎて」

神は長子の権を失ったエサウをも、物質的に省みてくださいました。神の前に正しい人は一人もいませんが、神が憐れまない、神が省みない人もまた一人もいないのです。あなたが今日、省みるべき人は誰ですか?

 

「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は仰せられる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」マラキ3章7節

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