毎日の聖書11月20日〜
おざく台教会毎日の聖書 11月20日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
11月20日(月)ホセア書1章
2節「主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。『行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。』」
神と神の民との関係は、夫婦の関係に例えられています。結婚という契約を結んだ相手を裏切り続ける姦淫の女、それは神の民のことであり、私たちのことです。生涯を共に歩むと誓い、契約を結んだ神を裏切り続ける私たち。
けれど、私たちの神は、最初の愛の誓いを曲げません。決して見放さず、見捨てないのです。私たちがどれだけ愚かで、迷い、罪に汚れようが、神は私たちへの愛を貫き通すのです。
11月21日(火)ホセア2章
19〜20節「わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。」
新約聖書・旧約聖書の、『約』は、契約の『約』、約束の『約』です、私たちの神は契約をむすぶ方、その契約を一方的かつ徹底的に守り通す方です。あなたは神とその契約を結びました。それゆえあなたの努力や忠実さによらず、神の誠実さゆえに、あなたの救いは確かなのです。
11月22日(水)ホセア書3章
1節「主は私に仰せられた。『再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。』」
この菓子には勢力増強作用があるとされ、偶像礼拝と関連しています。神の民が、そして私たちが、神以外のものや、罪に、目と心が奪われている時でさえも、神は私たちに心奪われ、私たちを愛し続けているのです。
神の愛は、永遠の愛、変わらぬ愛、『にもかかわらず』の愛、なのです。
11月23日(木)ホセア書4章
19節「風はその翼で彼らを吹き飛ばす。彼らは自分たちの祭壇のために恥を見る。」
神の民は、勝手な祭壇を作り、いけにえを捧げました。神以外の何かに、心奪われ、ほめたたえ、いけにえを捧げてはいませんか?あなたの心は、力は、時間は、富は、どこへと向いていますか?
この世界は、神からの贈り物です。何かを大切にするのは、良いことです。決して間違ってはいません。けれど、神以外を第一にして大切なことを見失ってしまってはならないのです。
11月24日(金)ホセア書5章
15節「彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。」
最近、自分の負い目や罪を告白し、神を慕い求めるような祈りをしていますか?自分自身の罪や愚かさとと向き合うのは辛いことですが、神はそれを蔑むことは決してありません。神の愛と赦しを確信し、安心して憐みに満ちた神の御顔を慕い求めることができるのです。是非時間をとってみてください。
11月25日(土)ホセア書6章
6節「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」
この「知る」という言葉には、単なる知識でなく、愛の深い結びつきの意味が込められています。
ジュネーブ信仰問答第一問
問:人の主な目的はなんですか?
答:神を知ることです。
誰にも邪魔されない時間と場所を確保し、神様と1対1の交わりの祈りをしてみてください。
11月26日(日)ホセア書7章
2節「彼らは心に言い聞かせない、わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らのわざは彼らを取り巻いて、わたしの前にある。」
泥棒は誰も見ていないときに盗みに入ります。人々が見ている前で、空き巣に入ることは決してありません。ところで、私たちの行いも心も神はご存知ですが、人はその事実に目を背けながら罪を犯します。神の御前で自己中心にふるまい、罪を犯せるほど豪気な人はいません。
私達はいつも神の御前にいるのです。そして、神の視線は、私たちを監視する冷たい目つきではなく、私達の幸せを願う愛のまなざしなのです。