毎日の聖書10月2日〜

おざく台教会毎日の聖書 10月2日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

10月2日(月)エゼキエル書12章  

3節「もしかしたら、彼らに自分たちが反逆の家であることが分かるかもしれない。」

 実は、神の民が、神と神の言葉に反逆していたのです。彼らはその事に気づいてなく、自分達は正しいと思いこんでいたのです。私たちの内側にもまた、反逆の家が存在しているような気がします。

 病の治療は、病識をもつことが大前提です。健全な信仰とは、良い意味で自分自身を、自分達の教会や牧師を、疑えることです。私達人間は、愚かであり、視野は狭く、知識は足りず、それなのに、自己義認する存在なのですから。

 けれど安心してください。神と、神の与えてくださる救いは、完全であり、全く疑う必要がないのです。

 

 

10月3日(火)エゼキエル書13章

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節「彼らは、平安がないのに、『平安』と言ってわたしの民を惑わし、壁を立てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。」

 神と人の前で、自分を立派に、聖く、正しく、罪も問題もまるでないかのように、偽ってはいませんか?アダムやエヴァが自分達をいちじくの葉で隠したように、問題や穢れを必死に隠そうとはしていませんか?

 私達の醜さ、愚かさ、罪深さなど、かみはとっくにご存知なのです。どうか罪と問題を抱えたあなたのままで、神の前に出てみてください。その時こそ、本当の意味で神の愛を知るのです。

 

10月4日(水)エゼキエル書14章

5節「偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家の心をわたしがとらえるためである。

 神は偶像に奪われたあなたの心を、取り戻そうと求めています。偶像とは、異教の神々だけではありません。宗教改革者ルターは、偶像を『あなたの心を縛り導くもの』と定義しました。

 何かを大切にしたり、魅力に感じること自体は、決して悪いことではありません。けれど、それらが神以上にあなたの人生を導く時に、私達の歩みはどこかで歪んでくるのです。どうか偶像を第一にしないでください。 世界万物を創造された神が、愛を持ってあなたの心を求めているのですから。

10月5日(木)エゼキエル書15章

8節「わたしはこの地を荒れ果てさせる。」

 ユダヤ人にとって、土地とは何よりの宝でした。しかし、カナンの地、約束の地ですら、荒れ果てます。あなたを救い、癒し、豊かにし、祝福するのは、土地ではなく神ご自身です。あなたが頼りにするものが失われる時、それは神ご自身に目を向けるチャンスかもしれません。

 

 

10月6日(金)エゼキエル書16章

6節「あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ。』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ。」と言った。」

 神は、『生きよ。』と言って私たちをこの世界に愛をもって送り出し、『生きよ。』と言って日々命を与え、『生きよ。』と言って私達の罪を身代わりに負って十字架にかかられました。 私達の命は、毎日は、神の『生きよ。』という言葉によって、与えられているのです。

 あなたの生涯は、あなたの今日一日は、神の願いであり、望みでもあるのです。大切に、心を込めて生きてください。

10月7日(土)エゼキエル書17章

24節「このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行う。」

 神を軽んじ、神以外に信頼してエジプトに救いを求めた民に対して、神の語られたことは、神が実現なさるのだと、神に信頼する大切さが説かれています。

 あなたにとって神に信頼するとは、どのようなことを意味するでしょうか?祈り、聞き、実践する一日としてみてください。

 

10月8日(日)エゼキエル書18章

31節「あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、誰が死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。― だから、悔い改めて、生きよ。」

 神の語りかけが、面倒に、鬱陶しく感じることはありませんか?けれど、神の願いは、私達の幸せであり、いのちに溢れた歩みをすることです。だから、しつこく、何度でも何度でも語りかけ、決して諦めないのです。

 今日一日を、神の語りかけに応える一日としてください。

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