毎日の聖書6月26日〜

おざく台教会毎日の聖書 6月26日~

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

6月26日(月)イザヤ書37章

32節「エルサレムから、残りのものが出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の主の熱心がこれをする。」

 もうだめだ、終わった、そう思うことはありませんか?もちろん諦めや切り替えも時には肝心ですが、決して諦めてはならないこともあるのです。

 イスラエルは歴史を通して、たくさんの窮地を経験しましたし、やがてはバビロニアによって、国を徹底的に滅ぼされました。けれど、もう終わった、と思った状態から、民は、国は、救済や回復を経験したのです。それは、民の努力ではなく、神の熱心によるのでした。その熱心は、今日、あなたにも向けられているのです。

6月27日(火)イザヤ書38章

1&5節「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。

 ヒゼキヤは病にかかり、神から死への備えをするようにと告げられます。すると、延命を願い、叶えられました。一方で、ヒゼキヤは与えられた15年間で、後のエルサレム崩壊のきっかけを作ります。

 私達にとって、命の長さは大切です。みなさんには、是非とも末永く健やかであってほしいと思います。けれど、命の長さよりも、命の深さと言いますか、質もまたそれ以上に大切なのです。

 今日与えられている一日を、丁寧に、深く、神とともに生きられますように。

 

 

6月28日(水)イザヤ書39章

8節「ヒゼキヤはイザヤに言った。『あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。』彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。」

 国に害をもたらしながら、自分のことだけを考える、王としてとても無責任な言葉です。(ルイ15世の愛人ポンパドール夫人の『洪水よ、わが亡き後に来たれ。』を思い出します・・・)

 私達は自分が良ければ満足なのでなく、次の世代に対して、責任を負っているのです。環境においても、政治においても、信仰においても、今日一日何が出来るでしょうか?問いつつ、祈りつつ、歩んでください。

 

 

6月29日(木)イザヤ書40章

1節「『慰めよ。慰めよ。わたしの民を。』とあなたがたの神は仰せられる。」

 私達の心は傷ついているかもしれません。魂は醜く、いびつに歪んでいるかもしれません。神にも人にも見せられないような、過ちや、愚かさがあるかもしれません。

 けれど、それは神の民イスラエルも同じでした。神はそれをご存知で、愚かで、醜く、汚れた民を、わたしの民、と呼び、慰められます。

 神の憐れみは、私達の罪や醜さをはるかに越えて、大きく、広く、深いのです。

6月30日(金)イザヤ書41章

4節「わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。」

 神がいるか、いないか、私達は議論します。けれど、その議論自体が、高慢で的外れなのかもしれません。神は、初めからおられ、世界を、歴史を、私たちをはじめてくださった方です。

 私たちが信じるから神があるのではなく、はじめからおられた神が私たちを生まれさせてくださったから、私たちがあるのです。

 その神が、私たちに目を注ぎ、愛し、今日も明日も共にいてくださる。素敵なことですね。

 

7月1日(土)イザヤ書42章

3節「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。」

 消えそうな信仰、頼りない歩み、神はそれを見捨て吹き消すことも出来るでしょう。しかし、主イエスはそのような人を憐み(マタイ12:15~)、十字架にかかってまで罪人に寄り添いました。あなたの信仰が消えそうでも、神からあなたへの愛と憐みは今日も燃え上がっているのです。

7月2日(日)イザヤ書43章

4節「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、」

 聖書はどれも大切ですが、この言葉はどれだけ多くの人を勇気づけ、希望と生きる意味を与えたでしょうか?

 神はあなたを造り、愛し、尊い存在としてみてくださり、キリストはあなたの身代わりに十字架で死に、聖霊はあなたと今日も共にあり続けます。神にとって、(もちろん私達にとっても)、あなたは大切な人です。

Top