毎日の聖書6月19日〜

おざく台教会毎日の聖書 6月19日~

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

6月19日(月)イザヤ書30章

21節「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。」

 私達は、道に迷います。どうしたらよいかわからず、恐れ、戸惑い、立ち止まります。けれど、神は共にいてくださいます。あなたの手を取り、肩を抱き、一緒に歩み、勇気づけ、あなたの歩むべき道を示してくださいます。迷った時こそ、恐れの中でこそ、共にいてくださる神様に、心と耳を傾けてください。

6月20日(火)イザヤ書31章

1&5節「ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。・・・万軍の主は飛びかける鳥のように、エルサレムを守り、これを守って救い出し、これを助けて解放する。」

 当時エジプトは大国であり、頼りがいがありました。しかしエジプトに頼る代償として、様々な物品や、従属が要求されたりもしました。その積み重ねが、国としての、民族としてのアイデンティティを揺るがす恐れがあったのです。

 私達はもちろん様々なものに頼っても良いのです。けれど、あなたの頼る物や人は、あなたから何かを搾取したり、あなたの歩みを歪めたりしてはいないでしょうか?

 私達は頼るものにより、生き方が大きく影響を受けます。だからこそ、他の何よりも、誰よりも、まず神にこそ信頼したいのです。

6月21日(水)イザヤ書32章

1節「見よ。ひとりの王が正義によって治め、

 権力者や、指導者によって、 その集団は、組織は、国は、素晴らしい歩みが出来たり、問題や混乱が起こったりと、大きな影響を受けます。私達の集まりを、あなたの家庭を、私達の心を、あなたの歩みを、恵みに溢れたキリストが、正義をもって治め導いてくださいますように。

 

 

6月22日(木)イザヤ書33章

2節「主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに、私たちの腕となり、苦難の時の私達の救いとなってください。」

 自分の力では、状況が変えられない時があります。上よりの力がなければ、歩み出せない日があります。

そのようなときも、神は私達の腕となり、力となり、救いとなってくださいます。

 今朝、この祈りを、あなたも神に祈ってみてください。『私の今日の力となってください。』と。

6月23日(金)イザヤ書34章

1節「国々よ。近づいて聞け。諸国の民お。耳を傾けよ。地と、それに満ちるもの、世界と、そこから生え出たすべてのものよ。聞け。」

 私達は、様々な願いを神に向けます。不安や不満、疑問さえ伝えてよいのです。けれど、祈りとは、一方通行ではありません。祈りとは、会話、交わり、コミュニケーションとも言えます。聞くこともまた祈り、いえ、聞くことこそが祈りなのです。今日一日、耳を、心を、魂を、神に傾けてみてください。

6月24日(土)イザヤ書35章

10節「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいだく。」

 ユダヤの人々は国を滅ぼされ、異国の地バビロニアで奴隷となりました。その屈辱と落胆はどれほどでしょうか?しかし、神はやがて元の土地に帰ることが出来ると、神が必ず連れ戻すと約束してくださいました。

 私達も国が蹂躙されるような、奴隷として扱われるような、そんな経験はないでしょうか?けれど、神はこの言葉のように、神はあなたを放ってはおかず、必ず手を伸ばしてくださいます。悲しみ嘆く時、この約束に目を向けてください。

6月25日(日)イザヤ書36章

20〜21節「『主がエルサレムを私の手から救い出すとでも言うのか。』しかし、人々は黙っており、彼に一言も答えなかった。」

 神など頼りにならない、そう叫ぶ声を、私達は日々聞きます。そのようなときは、神の加護の有無ではなく、私達への神への信頼の有無が、試されているのです。 叫ぶ敵国に対して、民は黙って神への信頼を表しました。

 私達も場面は違えど、似たような状況に直面するときがあると思います。そのような際にも、私達なりに恵み深い神への信頼を表すことが出来ますように。

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