6月18日ウェルカム礼拝のメッセージ

2023年6月18日 おざく台キリスト教会ウエルカム礼拝
日本人とキリスト教
創世記1章1節、黙示録22章21節
東京基督教大学山口陽一学長
はじめに
日本人にとって神々は、自然であり人であり、世界内の身近な存在です。人は普通に神になり、八百万の神々があります。神道は民族の信仰ですから、日本という自然と民族において霊験あらたかなのですが普遍性があるわけではありません。こうして「日本」という世界は完結しているので、その中にいると安心なのですが、閉塞した世界でもあるので、どうも息苦しいということもあります。
そんな日本、日本人にとってキリスト教とは何でしょうか。今日はそのことを皆さんと考えてみたいと思います。皆さんの生き方に、安心が生れたり、希望の窓が開けたり、すがすがしい風が吹き込むなら嬉しいと思います。
日本人とキリスト教の神との出会い
・フランシスコ・ザビエルが見た日本
フランシスコ・ザビエル書簡1552年1月29日「日本人はその宗旨の物語の中に、世界の創造を始め、太陽、月、星、天、海、地、その他凡ゆる事物の創造に関する知識が一つもない。日本人は、これ等凡には、元始がなかったのだと思ってる。彼らが一番驚いたのは、霊魂にも創造主があるという教えを聞く事であった。」
 創世記1章1節「はじめに神が天と地を創造された。」そして、人の創造、神の霊を受けて生きる者となったこと。
・新島襄の聖書の神との出会い
 新島は、20歳の時、友人の杉田から借りた書物を手にし、アメリカへの憧れを募らせました。「私の好奇心を最もかきたてたのは、シャンハイかホンコンで発行された二、三冊のキリスト教の書物だった。私はそれらを熟読した。いくらか懐疑を覚えたけれど、またいくらかは畏怖の念にうたれた。以前に勉強したオランダ語の書物を通して、創造者という言葉は知っていたが、中国語で書かれたこの短い聖書の歴史の中で、神の宇宙創造に関する単純な物語を読んだ時ほど、創造者という言葉が胸にひびいたことはなかった。私たちが生きているこの世界は、神の見えない御手によって創造されたのであって、単なる偶然の産物ではないことを私は知った。同じ書物から私は神の別の名前が「天父」
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であることを知り、そのことは私の内部に神に対するさらに大きな尊崇の念をかきたてた。なぜなら私にとって神は単なる世界の創り主以上のものだったからである。これらの書物は、この世に生まれてから二十年間にわたって目隠しされたままだった私の心の目に、おぼろげながらも、一つの存在を見ることを得させてくれたのである」
・森村市左衛門の救いの喜び
 ノリタケ、TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶業、森村商事、大倉陶園を含む森村グループを作り上げた森村市左衛門は、晩年、殺人で無期懲役の囚人から回心して牧師になった好地由太郎から洗礼を受け、「自分は一生の中に何も成功しないが、晩年基督教徒になったことが唯一つの成功だ」と語っています。
キリストによって現わされた神の愛
・三位一体の神の愛
 『どちりなきりしたん』(1600年)は、「一もつなきところに種なくして天地万象をつくりあらせ玉ひ」と始まり、三位一体の神を教える。「御あるじDはパアテレと、ヒイリヨと、スピリツ サントと申奉りて、ペルサウナは三つにてましませども、ススタンシアと申す御しようたいは、ただ御一たいにてまします也。」
・内村鑑三『キリスト教問答』
 内村鑑三の三位一体の民のすばらしさを教える言葉を紹介しましょう。『キリスト教問答』の「三位一体の実際的意義」です。内村は愛は「無私」であると言うところから、次のように語ります。
「三位一体の神の愛を知るのでなければ、神の愛の何であるかを知ることはできません。そのひとり子を世のために捨てて下さった神の愛を知って、初めて父の愛の何であるかがわかるのです。父の命令であれば死にまでもこれに従った子の従順を見て、初めて孝行の何たるかがわかります。聖なる父と聖なる御子から出て、自分については少しも語らずして、聖なる父と子の栄光のみを現わそうとする聖霊の恵みを受けて、われらは無私の生涯の何であるかを知るのです。」
・日本語になった「愛」
 もともと「愛着」のような悪い意味だったので、キリシタンの時代には「御大切」、ヘボンは「いつくしみ」、翻訳委員会が「愛」を採用した。鈴木範久『聖書語から日本語へ』(教文館、2023年)は、聖書語から日本語になった代
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表的な言葉として「愛」を取り上げている。
クリスチャンという生き方
・存在の喜び
 宮村武夫『存在の喜び : もみの木の十年』青梅キリスト教会
神の名は「わたしはある」(出エジプト3章14節)、存在の根源です。こういう神が日本にはないのです。存在の根源である神が「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)
・永遠のいのち
 ヨハネによる福音書17章3節「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」
・キリスト者の自由
 ヨハネによる福音書8章32節「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」。34節「イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」。36節「ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです」
おわりに
 黙示録22章21節「主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。」
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