おざく台教会毎日の聖書9月12日〜18日

おざく台教会毎日の聖書 9月12日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

9月12日(月)ヨブ記15章

17節「 私はあなたに告げよう。私に聞け。私の見たところを述べよう。

 エリファズの言葉には真理も含まれています。しかし、あなたが苦しみの中にいたとして、このように上から語りかける人がいれば、その人を友として感じ、その人に耳を傾けるでしょうか?ある牧師が言っていました。伝道とは共に痛み、共に神を見上げることだ、と。それはイエス様がしてくださったことです。私たちは今日、誰の痛みを共に痛みましょうか?

 

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと」イザヤ書53章4節

9月13日(火)ヨブ記16章

2節「そのようなことを、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ。

 ヨブの友人達の慰めは、ヨブを「みじめに」(新改訳2017)させ、「煩わ」(新改訳第3版)せ、より落ち込ませました。キリストの慰めとは対照的です。本当の慰め手は上からでなく下から、言葉だけでなく命を削り寄り添います。そして、私たちを決して見放さず、私たちを見捨てないのです。ハイデルベルグ信仰問答集は、以下の問いから始まります。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」。それに対して次のように答えます。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです」

わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない 」ヘブル人への手紙13章5節

9月14日(水):ヨブ記17章

15節「私の望みはいったいどこにあるのか。だれが、私の望みを見つけよう。

 ヨブは神を望みとしていたはずです。しかし、困難と、友との議論は、彼に神への望みを見失わせました。あなたの周囲で、信仰や教会に傷つき、神に対してまでも望みを失った人はいますか?その方を覚え、とりなして祈ってみてください。

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。 」第一ペテロ1章3節

 

9月15日(木)ヨブ記18章

2節「いつ、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず悟れ。それから私たちは語り合おう。

 友人達は自分を義とし、自分こそが正しいとし、自分の神理解にヨブを押し込もうとします。しかし、正しいお方、義なる方キリストは、私たちを矯正するのでなく、まず自ら十字架にかかりました。まず先に愛してくださったのです。

 愛とは、ときに言葉よりもはるかに雄弁です。私たちがキリストの言葉を語るだけでなく、キリストの心で、キリストの行動ができますように。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私た

ちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」ローマ5章8節

9月16日(金)ヨブ記19章

25節「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。

 これはキリストを指し示す言葉おされています。苦しみの中でも、自分を覚え、やがて救い出してくださる方がいることは、何という慰めでしょう。今、悩みの中にいますか?あなたに約束された希望に思いを巡らす時間を持ってみてださい。

キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 」第1テモテ2章6節

9月17日(土)ヨブ記20章

5節「悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ。

 友の主張は、ヨブこそ悪者だ、神を敬わない者だ、ということです。3人の友人達との2度ずつの議論は、ヨブを救えず、むしろ追い込み苦しめました。

 今あなたは誰かと議論していることはありますか?あなたにはあなたなりの正しさがあるとは思います。しかし、神はその議論に何と答えられるでしょうか?議論の前に、まず十字架を見上げてみてください。

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」イザヤ55章9節

9月18日(日)ヨブ記21章

7節「なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。

 神を単純にとらえ、人を裁く友人達(昨日の箇所)へのヨブの反論です。ある意見や理論は、ある場合には正しいかも知れませんが、他の場合には通じないこともあります。人は全てを、そして神を完全に理解しきることはできないのです。だからへりくだり、神を見上げ続ける。それがヨブ記の示す知恵でした。本当に賢い人は、非常に謙遜です。イエス様がそうでした。真理は、あなたを謙遜へと導くのです。

高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。」箴言11章2節

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