毎日の聖書6月13日〜

おざく台教会毎日の聖書 6月13日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

6月13日(月)第1歴代誌21章

1節「サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」

 人は晩年になると、力、健康、地位など様々なものを手放していくことになります。その時には、寂しさや、不安を感じます。ダビデ王ですら、権力や兵力に安心を、自らの功績に満足を見出そうとして、大きな失敗をしてしまいました。

 けれど一方で、老い、喪失、病とは、神様により頼み、神様にこそ自分の土台を置く、大切な機会ともなりうる、と聞いたことがあります。私達はこれから様々な難しい状況に直面するかもしれません。けれど、そこが神様との出会いの場となりますように。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。詩篇119篇71節

 

 

6月14日(火)第1歴代誌22章

19節「そこで今、あなたがたは心を尽くし、精神を尽くして、あなたがたの神、主に求めなさい。立ち上がって、神である主の聖所を建て上げ、主の御名のために建てられた宮に、主の契約の箱と神の聖なる器具を運び入れなさい。」

 信仰者への命令はいつの時代も変わりません(申命記6:5、マタイ22:37)。全てを尽くし、あなたの神を愛し、求めることです。神から祝福を求める以上に、祝福の源である神ご自身を求めること忘れないでください。神様との繋がりこそが、神の子として生きるチカラです。今日、時間を取り、静かな場所でじっくり祈ってみてください。神ご自身を求めるのです。

 

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

」ヨハネの福音書15章5節

 

 

6月15日(水):第1歴代誌23章

30節「立って朝ごとに主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同じようにすること。」

 これはイスラエルの宗教活動を司るレビ族の務めですが、私達はキリストにあって彼らと同じく祭司となりました(Ⅰペテロ2:5,9)。この祭司の務めは私達の務めでもあるのです。そして面白いことに、宗教活動や祈祷ではなく、賛美が務めだということです。神の素晴らしさを、言葉と身体を持って称えること、たしかに大切な私達の務めですね。

 

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」第1ペテロ2章9節

 

 

6月16日(木)第1歴代誌24章

19節「これは主の宮に入る彼らの奉仕のために登録された者たちで、彼らの先祖アロンがイスラエルの神、主の彼に命じられたところによって、定めたとおりである。」

 礼拝は神の命令により始まります。人の希望や都合ではありません。いえ、礼拝だけではありません。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」(ローマ11:36)

 私達の言葉は、行動は、毎日は、何から発し、何によって導かれ、何によって成り、何に至るでしょうか?今日一日、神に心を向け続け、あなたの言葉を、行動を、神の心に基づいて、発してみてください。

 

「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」ローマ11章36節

 

 

6月17日(金)第1歴代誌25章

8節「彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた。」

 礼拝奉仕は、能力順や年功序列ではなく、クジに表された神の主権が基準でした。(ルカ1章では祭司ゼカリヤもクジで当番が当たっていましたね。)それゆえ奉仕者は、人間的な高慢さや策略から自由であり、神がほめ称えられることだけが大切にされました。

 私達がいろいろなことをクジで決めるわけにはいきませんが、私達の毎日も、人間的な高慢さや比較から自由になり、神だけを称え、神に栄光が帰されることを喜ぶ、しなやかな歩みでありますように。

 

「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」詩篇115篇1節

 

 

6月18日(土)第1歴代誌26章

19節「以上は、コラ族とメラリ族の門衛の組分けである。

 門衛は、宗教行事を司るレビ人の中では、なんと目立たない、なんと冴えない奉仕でしょう。人々の注目も集めず、評価もされず、感謝もされない・・・でも、それでいいのです。目立たなくても、人目を引かなくても、神礼拝の大切な一部なのです。

 私達の人生もまた同じで、ある人は光があたり、ある人は大切な働きをしつつも、他の人ほど感謝されなかったり、注目されないかもしれません。けれど、忘れないでください。大切なのは神があなただけに与えてくださった道を、誠実に歩むことです。神が「生きよ」と言ってくださった生涯を、心を込めて歩むことです。そして、光が当たりにくい人にも気づき、感謝を表すことのできる私達でいられますように。

 

「 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あながたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」第一コリント12章25〜27節

 

 

6月19日(日)第1歴代誌27章

23節「ダビデは二十歳以下の人々は数に入れなかった。主がイスラエルを天の星のようにふやそうと言われたからである。」

 何百年も昔に神からアブラハムへの約束(創世記15:5)はこの時も実現し、今や私達も霊的なアブラハムの子孫(ガラテヤ3:29)として、世界中に広がっています。

 神は真実の方であり、その方の約束は必ず実現します。恐れや、心配や、諦めが心を満たす時も・・神の約束を握りしめ、決して離さないでください。そして、忘れないでください。神の最大の約束とは、キリストにある救いなのです。

 

「神の約束はことごとく、この方(イエス・キリスト)において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。」第二コリント1章20節

 

 

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