毎日の聖書2月28日~

おざく台教会毎日の聖書 2月28日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

2月28日(月)第2サムエル記1章

23節「サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。」

実際のサウルは立派ではありませんでした。しかし、ダビデは、彼が主に油そそがれた者であるがゆえに、神が王として選んだという事実ゆえに、サウルを敬い続けたのです。私たちの目には否定的に映る人がいます。また、人によっては自分自身を否定的に見ているかもしれません。では、神様はその人をどうご覧になっておられるでしょうか?裁いたり、見下したりする前に、立ち止まり聞いてみてください。

 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43章4節

 

 

3月1日(火)第2サムエル記2章

5節「ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らに言った。『あなたがたの主君サウルに、このような真実を尽くして、彼を葬ったあなたがたに、主の祝福があるように』」

 

旧約聖書の最重要語、契約による愛・忠実さ、を表す「真実」(へへセド)が人間に用いられています。神の愛と真実が、人間の内にも見られたのです。神の真実の愛を受け、私たちも(たとえわずかでも)その真実の愛を表していく、それが私たちに与えられた大切な使命です。今日一日神と人に対して、誠実で、真実であれますように。

 

「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」第一ヨハネ3章18節

 

 

3月2日(水):灰の水曜日:第2サムエル記3章

31節「ビデはヨアブと彼とともにいたすべての民に言った。『あなたがたの着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前でいたみ悲しみなさい。』そしてダビデ王は、ひつぎのあとに従った。」

ダビデは、自分の命を狙ったサウルや、自分を裏切ったアブネルなど、自分を苦しめた人々の死さへも悼み悲しみました。それならば、私たちは私たちを造り、全てをくださったキリストの死を、どのように痛み悲しみましょうか。今日は灰の水曜日、2022年の受難節の始まりの日です。4月17日のイースターまでの40日の悔い改めの期間(6回の日曜日を除く)、身も心も神様の前にひざまずくことができますように。受難節の黙想として、キリストの最後の1週間の箇所を用意しました。少しずつ読み進めてください。

 

受難節第1日:マタイ21章1~22節

 

 

3月3日(木)第2サムエル記4章

9節「「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。」

ダビデは異邦人の前で堂々と自分の信じているところを告白しました。相手には愚かな言葉に思えたでしょう。たといそうであっても、ダビデは、誰の前でも神を誉め、神に感謝する人でした。

あなたは神様をどのような方として告白しますか。言葉でも、行動でも、その神様のすばらしさを表す一日となりますように。

 

受難節第2日:マタイ21章23~46節

 

 

3月4日(金)第2サムエル記5章

12節「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った。」

ダビデは、自分でなく神が、民への愛ゆえに、王国が盛にされたと考え、けっして自分の成果としませんでした。そのため、彼の心は神と近くにあり、結果として、王としても成功していきました。

謙遜とは神と共にいる道です。キリストは誰よりも低い所におられるからです。私たちにとっての本当の成功とは、キリスト共にあることです。

 

受難節第3日:マタイ22章1~22節

 

 

2月26日(土)第2サムエル記6章

21節「ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。」

ダビデは無礼な言葉を受けますが、気にしませんでした。神を喜び讃えていたからです。詩篇などダビデは多くの歌を残しました。神を賛美し、感謝し、ほめたたえることが、ダビデの力の源でした。最近いつ心からの賛美をささげましたか?祈りでも、歌でも、一心に神を賛美してみてください。

 

受難節第4日:マタイ22章23~46節

 

 

2月27日(日)第2サムエル記7章

19節「神、主よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。これが人の定めでしょうか。」

才能豊かなダビデですら取るに足りない者なら私たちはなおさらです。しかし、神はそのような者たちに御言葉を告げ、ご自身のために用いられます。聖書を通し、神はあなたに語っています。神は、ダビデに期待したように、あなたを信じ送り出してくれています。その思いに応えて、あなたも一歩を踏みだしてください。

 

*日曜は復活を祝う日であり、伝統的に受難節の日数には含まれません。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」ヨハネ15章16節

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