毎日の聖書11月8日~14日

おざく台教会毎日の聖書 11月8日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

11月8日(月)申命記31章

2節「私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。主は私に、『あなたは、このヨルダンを渡ることができない。』と言われた。」

人々を導きつつも、約束の地に入れなかったモーセ。(体力的にも、民の信仰的自立の意味でも、必要なリーダー交代だったのでしょう)最初は戸惑い、失望しますが、神様と共に歩み続け、ヨシュアを指導者として育て、全てを託しました。

自分の願いと、神の計画が、完全にぴったりとは重ならないことがあります。そんな時、思い返してください。神様は良い方です。私達の思い描く計画よりも、さらに素晴らしい計画を用意できる方なのです。

 

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29章11節

 

11月9日(火)申命記32章

47節「これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばにより、あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、長く生きることができる。」

聖書は、教養や暮らしのヒントではなく、罪にまみれた私たちの頭と、心と、生活とを生き返らせる、新しいいのちの源です。今日一日、何かを考えたり、決めたりする際に、一息ついて、神様は何と言っているかな?と考えてみてください。あなたの内に住む、聖霊なる神様が、きっとふさわしい聖書の言葉を思い起こさせてくださいます。

 

「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」申命記30篇19節

 

11月10日(水)申命記33章

1節「これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。」

自分はもうすぐ世を去る、自分は約束の地に入れない・・悔しさ、うらやましさ、寂しさ、いろいろな気持ちがあったでしょう。しかしモーセは民を祝福することを選びました。

私たちの場合はどうでしょうか?今日一日、感情に流されず、妬むことや呪うことから自由であれますように。願はくは、人を祝福することを選び取れますように。

 

「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」ローマ12章14節

 

11月11日(木)申命記34章

5節「こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。」

人は自分の死期を知りえません。今日か明日か、やがての日か、主が「帰っておいで。」と召してくださり、「がんばったね。」と抱きしめてくださるのです。私達はただ、この一日一日を、精一杯、神に従うのみです。

 

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1章21節

 

11月12日(金)ヨシュア記1章

2節「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

モーセを失ったことはヨシュアを恐れさせました。今までは誰か(指導者や親)に従っていた。これからは自分で神と向き合い、考え、神に従う。誰もが経験する信仰のステップです。けれど恐れすぎなくて大丈夫です。モーセと共にいて、ヨシュアと共にいた、神が今日あなたと共にいて助けてくださるのですから。

 

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。・・・・あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。」イザヤ41章10&13節

 

11月13(土)ヨシュア記2章

3節「この女はそのふたりの人をかくまって」

ラハブは女性で、異邦人で、異教徒で、売春婦。おそらく、神様からもっともかけ離れていると思われる人物です。しかし信仰の行為により、命を救い、約束の民となり、救い主の祖先(マタイ1:5)となりました。名も無き者でも、汚れた者でも、その小さな信仰のきらめきを、神は決して見逃さないのです。私達も今日、どれだけ小さな信仰でも、発揮することができますように。

 

「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。」詩編37篇3節

 

11月14日(日)ヨシュア記3章

6節「ヨシュアは祭司たちに命じて言った。『契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。』そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。」

契約の箱は、神の臨在の保証です。民は契約の箱と共に、荒れるヨルダンを渡りました。人生の奔流に押し流されそうな時も、主はあなたと共にいて、あなたの心と歩みを守り乗り越えさせてくださいます。今日一日、神の臨在ゆえの平安が、あなたにありますように。

 

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28章20節

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