6月7日の礼拝案内とメッセージ

今週より教会からのZOOMでの中継に加え、1階3名、2階2名を目安に、椅子を用意します。
とはいえ、まだまだ注意が必要であるため、ネット環境がない方など、事情のある方に限らせていただきます。消毒、マスク着用、換気などの対策をして行います。(消毒液、マスクは教会にも備えがあります。)礼拝堂での参加をご希望の方は、お手数ですがbig-small@willcom.comまたは007055716102まで事前にお知らせください。

おざく台教会2020年6月7日「諦めずに生きる」

<聖書>
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。(ローマ8:28,29)

<ファミリータイム:お話し「あきらめなかったヨセフ」、こども讃美「僕の心の中が」>
創世記 50:18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」 50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。 50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。 50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。

<もう嫌!という時の聖書の言葉>
2020年は特別な年になるはずでした(もちろんオリンピックも楽しみでしたが)。教会には、みなさんが喜んで集ってくださり、今年はどんな事が起こるのか楽しみでした。しかしコロナによって、3月以降は、礼拝堂に集うことが難しくなりました。
私が園長を務める幼児園では、長く続いた園児減少や幼児教育無償化実現など、様々な困難をやっと乗り越え、さあこれからという時期でした。この集まりにくい状況は、音楽会や公開保育などのイベントで地域に認知してもらっていた小さい園にとっては死活問題です。次の園児募集に向けて早くも胃が痛いです(汗)。

コロナだけではありません。災害、病、事件・事故、様々なトラブル、家族の問題それ以外の様々な出来事・・・「なんでこんなことが」、「こんなはずでは」、「もう嫌だ」、そんな思いを抱き、何かを諦めたり、投げ出したりしたくなることが、私達には日々あるのです。
けれど、諦めたくなる度に、投げ出したくなる度に、今日読んだローマ8:28の聖書の言葉に支えられました。今週から「困難な時こそ覚えておきたい聖書の言葉」というシリーズでお話しします。このような時だからこそ、聖書の言葉に、神様の語りかけに、励まされ、支えられ、諦めず生きて行きたいと願います。

<人間の罪という病に翻弄されたヨセフ>
今日の聖書の言葉ローマ8:28を読むと、創世記37~50章に記されたヨセフのことが浮かびます。映画やミュージカルにもなっている有名な人物です。
兄弟に妬まれ穴に投げ込まれ、死んだことにされ、奴隷として売られる。異国のエジプトの地で一生懸命働きますが、嘘をつかれ牢獄に入れられます。牢獄で人を助けますが、助けられた人はヨセフのことをすっかり忘れてしまい、ヨセフはずっと牢獄のまま。コロナのような病ではありませんが、人間の中にある罪という病に翻弄されたヨセフは、なんで自分がこんな目に、もう嫌だ、と何度も思ったのではないでしょうか?

<悪を善に用いる神>
困難や苦しみは、不利益であり、無駄であり、無いほうがよいに決まっています。だから私達人間は、無病息災、商売繁盛、家内安全、学業成就を祈るのです。
しかし、自然のものであれ、人間の罪によるものであれ、神様はその困難や悪を「益」とすると約束してくださいました。このギリシャ語アガソスは「善」や「良い」という意味です。
ヨセフは神に助けられながら、やがてエジプトの大臣となり、飢饉の時に食料で人々を救い、自分を売りさばいた兄弟たちを救うことになります。
そしてヨセフは言うのです。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」創世記50:20

妬みによる人身売買という悪の行為が、エジプトの地にヨセフを送りますが、神はそこでヨセフを大臣とし、食糧備蓄という政策をさせ、多くの人の、そして神の民イスラエルの命を救うという、善いことに変えたのです。
私達はヨセフとは別の時代の別の土地に生きる別の人間ですが、ローマ8:28の約束はヨセフだけでなく私達にも語られています。この約束は「神を愛する人々・・には」(ローマ8:28)とあります。神を愛する者にとって、苦しみの中で神を見上げる者にとって、苦しみは単なる苦しみでは終わらないのです。どんな出来事に遭っても、この出来事にさえ意味があったと、神は悪を善に変えてくださったと、ヨセフのように言える日が必ず来ると信じ、諦めず、投げ出さず生きるのです。

<どん底でも共にいる神>
とはいえヨセフにも、17歳で兄弟に売られてから兄弟との再会まで、20数年かかりました。苦しみに意味を見出せるようになるまでには時間がかかるのです。しかし、ヨセフの人生で一番暗かった牢獄での時期、創世記39章には、「主がヨセフとともにおられ」(39:2,3,21,23)と4度も出てきます。人生のどん底の中でも神が共にいたのだと、繰り返されています。ヨセフが倒れないように、諦めないように、投げ出さないように、苦しみがやがて救いへとつながるように、神は共にいて助け続けてくださったのです。あなたが苦しむ時、神が共にいてくださることをどうか忘れないでください。

<本当の意味での「益」とは>
ローマ8:28の「益」や良いという言葉は、やがては「利益」が出る、とか、いつかは私達に都合「良く」事が運ぶ、という意味ではありません。むしろ、神の目にとっての益。私達は神がなさったことの意味に、後になって気づき、満足できるのです。。

今回のヨセフの言葉は、創世記50章、最後のクライマックスです。創世記を、罪と悲しみの連鎖、堕落の螺旋階段、と表現した人がいます。創世記は、人が神よりも罪を選び、神の造った良いものをどんどんと壊していき、その傷が深く、広くなっていく話。夫婦が壊れ(3章)、兄弟が壊れ(4章)、親子が、家族が、共同体や社会が壊れていく。それでも神は人を諦めず関わり続けます。そして、最後の最後で、この赦しと救いの出来事が起こるのです。

ヨセフは言います。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。」(創世記50:19)
蛇から「神のように」(創世記3:5)なれるよ、と誘惑され堕落した人間が、自分が神であるかのように振る舞い(創世記4:23~24)、互いに争い合い、怒り・悲しみ・恐れに満ちていた人間が・・・ついに、私を恐れないでください、私は自分を神としません、私はあなたを傷つけません、と言うのです。
そして言います。「ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」(創世記50:21)互いを恐れ合い、その恐れから傷つけ合い、奪い合ってきた人間の中に、赦すこと、分け与えることがみられたのです。これはまさにキリストの姿です。
ローマ8:28の約束は、「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。」と続いています。「益」と、私達が「御子のかたち」つまりはキリストの似姿に変えられていくこと、とは深いつながりがあるのです。
状況が、環境が、相手の人が変えられることも、益でしょう。しかし、私達自身が変えられることこそが、キリストに似せられることこそが、本当の「益」なのです。この約束の前に、「神のご計画に従って召された人々のためには」(ローマ8:28)とあるように、私達は、神に召されて、神に呼ばれているのです。罪の連鎖を断ち切るために、堕落の螺旋階段を逆に登るため、周囲に祝福と救いをもたらすために、今それぞれの場に置かれているのです。

<この時間さえ無駄ではない>
そう考えると、ヨセフが、数日とか、数週間とかで救出されなかったことの意味が分かってきます。甘やかされ、奔放に育った17歳のヨセフ。しかし、穴の中の時間、売られてエジプトに引かれる旅の期間、召使いとしての期間、牢屋での期間、牢屋で忘れ去られた期間(41章)、出世の始まりと(41:46)記されていない様々苦労の期間を経験しました。恐らくその1分1秒が必要だったのです。私たちと同じように罪の病に侵されたヨセフが、神を知り、神とともに歩み、キリストの愛と赦しの姿へと変わるための時間だったのです。
決して時間や立場がヨセフに余裕を与えたのではありません。兄弟と出会った時、ヨセフの心は激しく揺れ動きました。もし、ここでヨセフの赦しという決断がなければ、ヨセフが復讐心から兄弟たちを手にかければ、イスラエル民族は終わりです。イエス・キリストは生まれず、神の救いと祝福は世界へとは及ばなかったのです。
あらためて、先週の聖書の言葉が浮かびます。「患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」(ローマ5:3~4)それならば、今の難しい時期でさえも、私達が神を知り、変えられ、救いが広がっていくことにつながるのです。
兄弟に売られた17歳の年さえ、牢屋に入れられた年さえ、牢屋で忘れ去られた2年さえ、やがてヨセフは自分にとって大切な年であったと気付きました。誰も予想できなかった2020年ですが、神とともに歩むなら、わたしたちにとっても特別な、意味のある年だったと、やがてそう言うことが出来ると信じます。

<今週の黙想>ローマ8:28を暗唱(記憶)してみてください。難しい状況に直面した時、「神はそれを良きに変らせて」(創世記50:20口語訳)くださると信じ、歩んでください

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