しばらく礼拝はweb上(ZOOM)で行います。

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おざく台教会は、緊急事態宣言を受け、礼拝、祈祷会はしばらくの間はweb(ZOOM)上で行います。

写真は以前の洗礼式
またこのように集まれる日を待ち望んでいます。

みんさまの守りと支えを祈りつつ

主の平和

メッセージは、文章を以下の載せます。

2020年4月12日イースター「イエス様の『おはよう』 」

<聖書>
そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。マタイ28章8~9節

<今の私達の心は?>
みなさんはどのような気持ちで今日のイースターを迎えましたか?
コロナ鬱、コロナ疲れという言葉があるように、テレビから流れる感染拡大のニュースに脳が委縮し、感染への恐れで、将来への不安で、ストレスをため込んでいる、そんな話も聞きます。まるでキリストが十字架で殺され葬られた後の弟子達のように、世界中が失望や恐れや不安で心が満たされています。

<復活後の第一声はいつも通りの「おはよう」>
そんな弟子達の恐れや不安、失望をよそに、墓に入れられて三日目の日曜日の朝、キリストは墓から颯爽とよみがえります。そして、女性たちに出会って言うのです。「おはよう。」なんと当たり前の挨拶でしょう。
もっと「ジャジャーン、生きかえったぞ!」でも「すごいだろう!」でも良いのに・・・死に勝利したのに、あくまでも普通に、いつものように、「おはよう」です。復活の朝です。特別な朝です。それなのにいつもと変わらない「おはよう」という朝の挨拶。でも、これでいいのです。これこそが私たちの救い主キリストです。

<死んでいるのではなく、眠っているだけ>
この復活の第一声を聞き、以前イエスが語ったある言葉を思い出しました。
「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」マルコ5:39
死んだ少女、打ちひしがれる父親、嘆く人々、そんな場面でイエスはこう言ったのです。周囲の人はそれを聞いて、イエスをあざ笑いました。
少女は眠っていただけなのでしょうか?いえ、確かに死んでいました。イエスは勘違いしていたのでしょうか?いえ、ちゃんと分かっていました。しかし、イエスにとって、人々を失望させた死でさえもまるで、眠っているのに過ぎないことだったのです。
そして、イエスは少女を、母が娘を優しく眠りから覚ますかのように、まるで毎朝の日常の場面のように「起きなさい。」と言うのです。
「その子どもの手を取って、『タリタ、クミ。』と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい。」という意味である。)すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。」マルコ5:41~42

私達が取り乱して泣く状況や、最も恐れる死すら・・・、イエスは当然のように打ち勝ってしまうのです。
キリストは・・・最後の敵である死も滅ぼされます。第一コリント15:26

<なぜ失望してるのですか?>
宗教改革者マルチン・ルターは、その信条(宗教行為ではなく、一方的なキリストの恵みによって救われる、という主張)のゆえ激しく攻撃されました。勇敢でしたが、次第に身も心も疲弊し、落ち込んでいきます。

ある朝、ルターが起きると、家にはロウソクが灯され、妻ケーテが喪服を着て立っていました。
ルター「どうした?誰か死んだのか?」
ケーテ「神が死なれました。」
ルター「神が死ぬわけないだろう。イエスはよみがえったのだ。」
ケーテ「ではどうしてあなたは、まるでイエスがよみがえられなかったかのように、失望しているのですか?」

なんと強烈な一撃でしょう。ルターは再び信仰の目を覚まし、勇敢に歩み出しました。
イエスはケーテを通して、「おはよう」と、「起きなさい」と、言われたのです。

<あなたへの「おはよう」>
あなたは、もうだめだ、もう無理だ、もう終わった、そう諦めていることはありませんか?
このイースターの朝、イエスはそんなあなたの前に立ち、死に打ち勝った姿を示し言われます。「おはよう。」
周囲があなたを死んだものとして諦める時、イエスはあなたの傍らに立ち、手を取って言われます。「タリタ、クミ(起きなさい)」

私達は遅かれ早かれ、やがてこの地上での命を終えます。
人生を振り返り、全てに別れを告げ、ゆっくりと目を閉じ、全てが消え去ると思われたとき・・・

あなたは主イエスの声を聞きます。「起きなさい。」
イエスはあなたの手を取り、あなたの目の涙をぬぐい、ほほえみかけて言うのです。「おはよう。」

<祈り>
イースターによみがえられた復活の主よ。日々失望する私達の前に立ち、「おはよう」と語りかけてください。目の前の困難や死を超えたものがあるのだと、弱い私達に示し、手を取って私たちを起こしてください。
そしてやがての日、死を迎えたその日、私たちの手を取り、新しい復活のいのちへと私達を起こし、語りかけてください。「おはよう」と。
復活の主、イエスの御名によって祈ります。アーメン

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