毎日の聖書2月5日〜

おざく台教会毎日の聖書 2月5日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

2月5日(月)マタイ書11章  

28〜30節「28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 最近、休息や睡眠を十分に取っていますか?忙しい毎日だとは思いますが、どうか身体と心を大切になさってください。眠ること、楽しいことをすることで、自分自身を労い、身体と心を健やかに保つことは、神様から与えられた大切なつとめです。

 同時に、魂の休息は取れているでしょうか?生活も心も魂も乱れていたとしても、神様はけっしてあなたを邪険には取り扱いません。心優しく、へりくだっている神は、あなたの魂を休ませ、生かしてくださいます。祈りによって神の前に出て、静かな時を過ごしてみてください。

2月6日(火)マタイ書12章

49〜50節「49 それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。50 天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

 イエスは見下されたガリラヤ地方の田舎者たち、地位の低い漁師や、嫌われていた取税人、熱心党という反体制のテロリスト、身体を売って生活していた女性たち、その他、様々な立場の弱い人達を弟子とし、ご自身の兄弟、姉妹、母と、呼ばれました。

 日々の生活は宗教指導者のように徹底は出来ません、聖書知識も足りません、問題か課題を挙げればキリがない人たちです。

 それでもイエスは、不完全な彼らの心のなかに、神を、善を求める欠片のような小さな光を見て、ご自身の家族と呼んでくださいました。そして私達のこともまたそう呼んでくださるのです。

 

2月7日(水)マタイ書13章

33節「イエスは、また別のたとえを話された。『天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。』」

 13章では天の御国(神の国)の例えがいくつも語られます。その中でイエスは、1粒の種が100倍の実を結ぶ話のように、小さなパン生地がパン種(酵母)によって大きく膨れる話をしました。

 パン種には、力があるのです。そして、そのパン種は、神の国の種は、私達の内側にすでに入れられているのです。

 自分には何も出来ないと、じぶんからは良いことは生じない、そう思い込んではいませんか?あなたのうちに住まわれるキリストは、そうは考えていないのです。

2月8日(木)マタイ書14章

26〜27節「26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。

27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言わ

れた。

 キリストを信じていれば、嵐に象徴されるような困難や問題には直面しない・・・という訳ではありません。(もちろん耐えることの出来ない試練には合わせないという、心強い約束もあります。)

 けれど、私達には、嵐の中でも、パニックで神を忘れても、嵐の中に駆けつけてくださる方がいるのです。嵐のような毎日であっても、キリストによる助けと平安が、私たちにはあるのです。

 

2月9日(金)マタイ書15章

27〜28節「27 しかし、女は言った。『主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。』28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。『ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。』すると、彼女の娘はその時から直った。」

 ルール・決まり事・前例・伝統などは物事を円滑に進めるためにはとても有益です。けれども、ユダヤ人と異邦人という大きな壁、深い隔たり、を越えても神の恩寵を求める女性に、キリストは感嘆の言葉をもって応えました。

 キリストは伝統以上に、私達の心を見通し、それを喜んでくださる方です。あたなはキリストに何を、どのように求めましょうか?

 

2月10日(土)マタイ書16章

15〜16節「15 イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』16 シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』」

 これは世界で最も大切な問いかもしれません。あなたは何と答えますか?もし、ペテロのようにイエスを「神の御子キリスト」と呼ぶのなら、その方があなたのために十字架にかかられたのなら・・あなたはどう応えましょうか?イエスの問いに、「答え」そして「応え」今日を歩んでください。

2月11日(日)マタイ17章

20節「もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。

 信仰は大小(だいしょう)ではなく対象(たいしょう)、そう聞いたことがあります。私達の思いや確信とても大切で大切にしたいのですが、それは状況によって揺らいだりもします。しかし、私達が信頼する方は決して揺らぎません。だからからし種のような小さな信仰でも良いのです。大きな方に、小さな信仰を向けたいのです。

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