毎日の聖書9月11日〜
おざく台教会毎日の聖書 9月11日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
9月11日(月)エレミヤ書48章
47節「しかし終わりの日に、わたしはモアブの捕われ人を帰させる。」
裁きが延々と宣言された後、最後の最後で回復の約束が語られます。神の裁きとは、過失に罰を与える警察官や裁判官のような裁きではなく、正義をもたらす裁きです。そして、裁きを超えた憐れみをもって、私たちに関わる方です。私たちの神は憐れみの神なのです。
過去の失敗があって、自分に失望したり、自分を責めている人がいるかもしれません。もちろん反省は大切です。けれど、神があなたをどう見ておられるか、あなたにどう関わろうかとされているかを忘れないでください。神は憐れみの心を持って、あなたと関わり、回復の道を歩ませてくださる方です。
9月12日(火)エレミヤ書49章
6節「そうして後、わたしはアモン人の捕われ人を帰らせる。」
昨日のモアブ人に続き、アモン人への回復が語られます。神の裁きと、神の憐れみは、イスラエル民族だけでなく、全ての民族に及んだのです。
私達は違う宗派の人、違う思想信条の人、違う宗教の人を、決して見下したり排斥してはならないのです。神はそのようなお一人お一人を愛し、憐れみを注いでおられるのですから。「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」ルカ6:36
9月13日(水)エレミヤ書50章
5節「来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、主に連なろう。」
人は神との契約を忘れます。心は移り変わり、感謝や真心を忘れ、恩を仇で返します。しかし、神は忘れません。人が捨て去っても、忘れ去っても、神はその契約を貫き通します。「私達が真実でなくても、キリストは常に真実である。」(第二テモテ2:13)あなたの救いは、自分自身の努力や献身ではなく、ひとえに神の真実と熱心とによるのです。
9月14日(木)エレミヤ書51章
58節「バビロンの広い城壁は、全くくつがえされ、その高い門も日で焼かれる。」
バビロニア帝国は圧倒的な力と繁栄を誇り、人々の畏れや称賛の対象でした。だれがこの偉大な王国の崩壊を予想したでしょう?
では、あなたのバビロンは何ですか?神以外の何に、圧倒され畏れ、不動のものとして賞賛していますか?もちろんそれらは素晴らしいものかもしれません。けれど、やがては崩れ去ったり失われたりするものであることは忘れないでください。
不動で、畏敬の念をもつべき存在は、この世界を造られた神様のみです。
9月15日(金)エレミヤ書52章
32節「彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。」
エホヤキン王は決して正しい人間ではありませんでした。けれども、長い年月の後、神様の憐れみを体験しています。私たちもまた神の憐れみに値しない存在です。それでも神は恵みによって憐れむのです。
今苦難の中に有る方もいるでしょう。けれど、神の憐れみはかならずあるのです。どうか決して自分を、状況を諦めないでください。
9月16日(土)哀歌1章
20節「主よ、ご覧ください。」
嘆きの歌の最後に、神への叫びが出てきます。私たちは悲しみ、怒り、後悔、といった感情の中に沈むこともありますし、そのような時間も時には大切です。けれど、内を見ても、横を見ても、救いがない場合が多いのです。ですから、最後には上を見上げて神に向かって叫ぶのです。この方にこそ救いがあるのですから。
9月17日(日)哀歌2章
14節「あなたの預言者たちは・・・あなたの咎を暴いて、あなたを元どおりにしようとはせず」
民は自分に都合のよい言葉を求め、結果滅びを招きました。あなたにとって受け入れ難い聖書の言葉は何ですか?もしかしたらそれがあなたへ神が示したい言葉なのかもしれません。その神の言葉こそが、回復へとつながるのです。