4月12日のメッセージ

「キリストの福音⑬」  マルコの福音書4章

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4:2 イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。 4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 4:4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。 4:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 4:6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 4:7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。 4:8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」 4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」・・・4:20 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」

 

<ファミリータイム>

 種を巻いたり、苗を植えたことはありますか?丁寧に、狙ったところに、巻いたり、植えたりします。イエス様の時代のパレスチナの種まきは、節分の鬼は外の豆まきのように、バッと蒔きます。種は、いろいろなところに落ちます。

みちばたに落ちた種は、鳥に食べられてしまいます。(イエス様を受け入れません)

石だらけの土は、深く根が張れず、枯れてしまいます。(イエス様を少ししか受け入れません)

いばらの地は、日光が遮られ、枯れてしまいます。(イエス様よりほかのことが大事です。)

よい土地は、実を結びます。(イエス様を大事にします。)

宗教家は、イエス様を受け入れませんでした。

イエス様に従っていた人たちは、イエス様の話を途中で嫌になりました。

弟子たちは、ローマを倒したくて、イエス様の話をちゃんと聞けません。

でも、イエス様を受け止めた人もいました。

 

<蒔かれた種、みことばとは?:宗教戒律でなく、イエス>

 信仰や宗教は、悪いものでは?危ういものでは?いっそ無いほうがいいのでは?そう感じることはありませんか?
 日本では旧統一教会の問題がありました。海外では、宗教が、国家の蛮行を肯定するために、使われます。「福音派」と呼ばれる一部の教会は、それを熱烈に支持します。聖書を根拠に人々が、差別的、排他的、攻撃的にもなります。でもそれはイエス様の時代も同じでした。

 

 この箇所は「4つの土地」の例えとして、有名な箇所です。教会において、私達の心が大切ですよ、聖書を(牧師や教会の言う事を)、しっかり聞いて、よく信じ、ちゃんと守り、実を結びましょうという文脈で使われました。

 確かに土地は心や、姿勢を表します。当時、イエス様が有名になるにつれて、賛成、反対、疑問など、いろいろな反応がありました。利権を守りたい宗教家、打倒ローマを目指す民族意識を持つ弟子たち、生活が困難し必死な人々、様々な人が、それぞれの願いを持ち、それぞれの「神の国」を待ち望み、イエスと向き合いました。聞く姿勢が、心のあり方が、問われているのです。

 

 一方で、これは「種まき」のたとえ、とも言われます。ここで蒔かかれる種、「みことば」とは、単なる「聖書」ではありません。それなら、パイサイ派、律法学者は、旧約聖書をしっかりと受け止めていました。律法主義により、聖書を使って、人々を見下し、苦しめ、差別するほどに。今日でも、聖書(の勝手な解釈)を根拠に、戦争や虐殺が肯定され、差別が行われています。

 

 ここでいう蒔かれた種、「みことば」とは、イエスの言葉であり、イエスご自身の振る舞いです。それは、聖書を信じる凝り固まった宗教家の理解や、打倒ローマという神の国を待ち望む弟子たち、単純な生活の向上や改善を求める人には、受け入れられませんでした。だからイエスはこの話をしたのです。

 神様が私達に蒔いたのは、宗教でも、戒律でも、幸せになる方法論でもありません。イエスという種です。人となった神を、十字架で身代わりに死なれた方、3日めによみがえった方、を古代の種まきのように、すべての人に惜しみなく差し出すのです。そして、この方の実を結びなさいと言うのです。

 この箇所は、問います。イエスが本当に言いたいことに、耳を傾けていますか?あなたにとって、イエスは大切ですか? 使徒パウロは、すでに信仰を持っている人に語ります。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ教会への手紙10章17節)

 聖書の中心はイエスです。イエスがあなたに何をしてくださったか、忘れないでください。イエスならどうなさるか、イエスならどう思われるか、問い続けることを忘れないでください。

 

<実を結ぶとは?:拡大・繁栄ではなく、イエスに似ること>

 今日のファミリータイムのお話で、「芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」この「実を結ぶ」状態は、具体的にはどういうものをイメージしますか?

 教会が大きくなることでしょうか?日本でキリスト教が主流となることでしょうか?ある人が信仰を持ち、社会的にも経済的にも家族にも恵まれ、日々幸せになることでしょうか?


 アメリカで誕生した、「繁栄の神学」(Prosperity Gospel)などの立場の教会は、多くの人を惹きつけ、メガチャーチと呼ばれる巨大教会となり、政治的に、社会的に影響力を持っています。

 確かに規模的な、社会的な繁栄・拡大、は悪いことではありません。けれど、熱烈にトランプ政権やイスラエル国家を支持したり、マイノリティに排他的であったり、他宗教に差別的であったり、その姿が、イエス様の言動と、ピッタリとは重なりません。

(*メガチャーチの全てがそうではありません。難民支援に熱心だったり、政権に同調しなかったりと、排他主義や原理主義とは、無縁の大規模教会もあります。)

 

 創世記1章の、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。」、の「ふえよ」という言葉が、実を結べ、という意味ですが、繁栄・拡大ならば他にふさわしい言葉を使えばいいのです。神様が、実を結べと、言われたのには、数的な増加を超えた意味があるように思えるのです。私達の成功、私達の繁栄、それだけを実と考えては、どこかで神への理解を誤るのです。

 

 キリストは実に関して、多くの国が望むような、他国を犠牲にした繁栄とは違うことを語ります。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネの福音書12章24節)

こう言われ、十字架にかかりました。

 また使徒パウロは言います。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ教会への手紙5:22~23)

 

 実を結ぶとは、弟子や宗教家たちが望んだ打倒ローマや、ユダヤ国家の繁栄、ユダヤ宗教の拡大のような、外側で起こることではない。一人ひとりの内側から始まるものであり、キリストの心、キリストの行動が、私達の内側に、外側に表されていくことのようです。

 自分は小さな人間だから、ここは小さな教会だから、という話ではないのです。結果の大小など、関係ない。私達が、イエス様の心を表すなら、それが実を結ぶという事なのです。逆に言えば、私達の毎日が、瞬間瞬間が問われているのです。

 

<イエスが信じた私達>

 この話で好きなのは、様々な土地に、もったいないような方法で、種がバラまかれている。それが神様のやり方です。豊かな人も、乏しい人も、優れた人も、苦しむ人も、選り好みなく、イエスさまはやってくる。すべての人に、キリストの実を結ぶように、励ます。

 私達は神に期待されているのです。イエスが私達一人ひとりのところに来て、私達という地に落ちて死に、(十字架でいのちをわたしたちに与え)、私達の内側で豊かな実を結ぶ、私達がキリストのように生き、他の人に命を与える存在になる、それができると私達を信じているのです。


 小さくてもよいのです。貧しくてもよいのです。問題を抱えていてもよいのです。それでも神は私達の一人ひとりに、キリストという種をまかれた。私達は、イエスといういのちの種を内に持っている。イエスの心、イエスの行い、という実を結ぶのが、私達が神から託された使命なのです。神はあなたに期待している、神はあなたを信じている、そのことを覚え新しい週を歩みだしてください。

 

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