毎日の聖書5月27日〜

おざく台教会毎日の聖書 5月27日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

5月27日(月)使徒の働き27章
25節「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」

 

身体が、心が元気でない時、ありますか?可能な限り、心身を休めることに時間を使い、なにか楽しみを持つのもとても有益です。

同時にしていただきたいのは、神の語りかけに、神の素晴らしい約束に心を留めることです。ゆっくり聖書を開き、神の語りかけを聞いて、元気を出してください。

5月28日(火)使徒の働き28章
28節「神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」

私たちの神は、語りかける神です。救いを差し出す神です。同時に、人に自由意志を与えられた神でもあります。ユダヤ人(の多く)は、キリストを通して与えられた神の救いを拒んでしまいました。
私たちはすでに救いを受け取っていますが、さらに祝福を与えようと、日々語りかけられています。どう応えましょうか?

5月29日(水)ローマ人への手紙1章
20節「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」

紫陽花の花が美しい季節になりました。神の素晴らしさは、自然を通してもはっきりと示されています。今日、空や、草花、生き物などをゆっくり見つめる時を持ち、創造主である神の素晴らしさを味わってみてください。

5月30日(木)ローマ人への手紙2章
28〜29節「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」

 

ユダヤ人は血統を、律法を、誇りとしました。キリスト教でもおかしなことに、血統やら、信仰歴やら、奉仕量・貢献度などが誇りとされる場合があります。しかし、どうやら神の目にはそれらはさほど重要ではないようです。神は、私達の心を見て、真実な心から出る歩みを喜んでくださいます。神はちゃんと見ていてくださいます。安心して、あなたの毎日を懸命に歩んでください。

5月31日(金)ローマ人への手紙3章

23〜24節「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、2ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」

 

マルチン・ルターが『小さな聖書』と読んだ箇所です。ここには、全てではないですが、キリストに寄る救いの大切な側面が記されています。

私たちは、交換条件で、ご褒美として、愛され、救われるのではないのです。すでに愛され、無条件に、恵みによって救われるのです。どうかこの順序を間違えないでください。

6月1日(土)ローマ人への手紙4章

25節「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」

 

信仰告白文や、洗礼準備会の文言のような、救いに関する大切な内容がまとめられています。ところで、ここで出てくるのは、何かを成し遂げたのは、『主イエス』だけです。私たち人間は何もしていないのです。ただ、『私たち・・・のために』『私たちの・・・ために』とだけ出てきます。これが私たちへの神の心です。あなたは一方的に、神から愛されているのです。

 

6月2日(日)ローマ人への手紙5章

21節「それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」

 

私達の毎日は、以前は、罪や、過ちや、愚かさや、醜さに、支配されていたかもしれません。それらに捕われ、苦しみや後悔、恐れや不安の中で、歩む時も多かったでしょう。

けれど、今私たちを支配しているのは、恵みです。神の愛です。愛されたものとして、恵みを受けたものとして、安心して歩んでください。

 

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