毎日の聖書7月8日〜

おざく台教会毎日の聖書 7月8日~

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

7月8日(月)コリント人への手紙第二9章  
7節「ひとりひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を、愛してくださいます。」
 キリストは心で決めて、私達のために「神のあり方を捨て」人間と同じように」なり、「十字架の死」を引き受けました(ピリピ2章)。さあ、あなたは神と人とのために何を心に決めますか?


7月9日(火)コリント人への手紙第二10章
17節「誇る者は、主を誇りなさい。」
 私達は、教派や教会や牧師でもなく、自分の信仰歴や奉仕量や献金額でもなく、罪人を救い愚か者を見放さない神様の慈しみと憐みを誇るのです。主を誇る者は、他の誰にも勝って謙遜で柔和です。キリストがそうでした。


7月10日(水)コリント人への手紙第二11章
2節「あなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたのです。

 聖書で神は夫に、信仰者は妻に例えられます。しかし妻は別の男(偶像の神々)と姦淫・不倫を繰り返します。それでも夫は妻との関係を決して諦めず、自分を捨て人間となりました。
神は私達に永遠の愛を近い、決して諦めず愛し抜いているのです。私達はどう応えましょうか?

7月11(木)コリント人への手紙第二12章
9節「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。と言われたのです。ですから、わたしは、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

 パウロは知識がありました。地位がありました。雄弁で、将来を期待された今日で言うところのエリートでした。けれど、病を得たのです。

 しかし、それさえも、謙遜になり、神に頼るチャンスと捉え、いよいよ自分を通して神が働くようにと、(自分の高慢さが神の働きを妨げないようにと)、祈り励みました。

 問題、弱さ、過去の失敗、それらはあってもよいのです。私達が謙遜になればなるほど、頼れば頼るほど、祈れば祈るほど、神が豊かに働いてくださるのです。

7月12日(金)コリント人への手紙第二13章

5節「あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。」
 私達はコリント教会と同じく高慢で、罪深い存在です。けれど、クリスマスに汚れた馬小屋の飼葉おけに来てくださったキリストは、コリント教会の人々に、そして私たちのうちにも来て、住んでくださいました。神はいつも、どこでも、いつまでも、あなたとともにいます。

7月13日(土)ガラテヤ人への手紙1章

4節「キリストは今の悪の世界から、私達を救い出そうとして、私たちの罪のためにご自分をお捨てになりました。」
 私達は罪や問題、過去の傷から解放を願い、努力し、宗教や団体に頼ります。しかし、キリストの誕生・生涯・十字架・復活こそが神が私たちに与えた救い、解決、希望です。まずこの方にこそより頼み、祈ってみてください。

7月14日(日)コリント人への手紙第二2章

16節「人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私達もキリスト・イエスを信じたのです。」
 努力・知識・悟り・宗教行為・厳格な生活によって救われる(た)と勘違いしていませんか?もし変な誇りがあれば注意してください。恵みによって救われた者に誇ったり、人を裁いたりは不可能なはずです。

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