11月23日のメッセージ

2025年11月23日おざく台キリスト教会

創世記28章11〜22節 「それでも、共にいてくださる方」 井本香織神学生

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10 ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。

11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。

12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

13 そして、見よ。主が彼のかたらわに立っておられた。

1、見捨てない方

2番 さすらう間に 日は暮れ 石の上の 仮寝の 夢にもなお あめを望み 主よ みもとに 近づかん

3番 主の使いは み空に 通うはしの 上より 招きぬれば いざ登りて 主よ、みもとに 近づかん

今月始めの昇天者記念礼拝では、「主よ、みもとに近づかん」を賛美しました。お葬式で、愛する人を神様の身元に送る際の歌。そして、沈みゆくタイタニック号のなかで演奏され続けた曲としても知られています。

教会の皆さんと賛美の練習をしている時、この曲の歌詞にあらためて目を止めて気づいたことがありました。2番と3番の歌詞は、今日みなさんとお読みしたヤコブの人生の一場面を歌っています。

ヤコブは、「あなたは祝福となる」と言われたアブラハムの孫にあたります。しかし、ヤコブの両親であるイサクとリベカ夫婦は、心を開いて子どもたちのことを相談することもできなくなっていました。夫婦の親密な関係が失われ、家庭には不信と緊張が満ちていました。

ヤコブの父は兄のエサウに長子の権利を与えようとしていました。長子の権利とは、家の跡取りとして財産、祝福、家族を導く責任を受け継ぐ特別な立場です。

ヤコブはずる賢く、母からのうながしで、兄と父をだますし、兄が受けるべき祝福を奪い取りました。(私の友人は、兄妹から、知らないうちに遺産が少なくなるように手続きをされていましたが、簡単には立ち直ることができないほど、落ち込んでいました。)

ヤコブがしたことは、取り返しのつかないくらい家族を傷つけるものでした。兄のエサウは怒り狂い、父がもうじき死んだならば、弟ヤコブを殺そうとまで考えます。ヤコブは、家を追われ、ただ一人、叔父ラバンの住むハランへと逃げていきました。エサウが追いかけてくるかもしれない。獣や、強盗に襲われるかもしれない。無事辿り着けるだろうか。辿り着いたとしても、全く知らない土地で生きていけるのだろうか。不安、恐れ、孤独、まだ解決していない問題への罪悪感ーヤコブの姿は、ときに人間関係に悩み、孤独のなかに置かれるわたしたちの姿をも表してはいないでしょうか。
その夜、ヤコブは石を枕に眠ります。そこで見た夢は逃げまどう悪夢ではありませんでした。天と地を結ぶはしごがあり、その上を神の使いが昇り降りしていたのです。神さまはヤコブに言われます。「わたしは、あなたと共にいる。」と。

 

4番 目覚めてのち 枕の石を立てて 恵みを いよよ切に 称えつつぞ 主よ みもとに 近づかん

ヤコブは夢から覚めて、石を立てて礼拝を捧げました。「おまえの礼拝なんて受け入れたくない。」「礼拝をする資格はあるのか」とは言わない神さま。家族を傷つけて逃げてきたヤコブと出会ってくださり、礼拝を受け入れてくださる神さまは、すごいと思います。

この場所は、かつてヤコブの祖父アブラハムが祭壇を築いた場所でした。孫のヤコブは、そうとは知らずに、同じ場所を枕にして一夜を過ごしていたのです。「ベテル(神の家)」という場所です。

アブラハムは、まさか自分の孫が、後に家族からの逃亡の途中で、ここを訪れるとは思いもしなかったでしょう。しかし、神さまは世代を超えてヤコブが神さまに出会えるように導いてくださいました。

 

2、それでも共にいてくださる方の、みもとで

 

ヤコブの歩みはこの後も残念なことがたくさんあります。例えば、ヤコブには妻が2人、側女が2人いました。息子が11人いましたが、一番愛した妻から生まれた子どもヨセフとベニヤミンだけをあからさまにエコひいきします。自分達が父ヤコブから愛されていないと感じていた兄息子たちは、妬みと怒りから、母違いの弟ヨセフをエジプトに奴隷として売り渡してしまいます。家族の中で、ヨセフは行方不明、死んだものとされました。この悲劇は、ヤコブが招いたのです。親として、またしても家族の不和を引き起こし、取り返しのつかないことをしてしまうのです。

ヤコブは、愛する息子を失ったことを嘆きながら生きました。そして、年老いた後、奇跡的にヨセフがエジプトで生きているという知らせを受けて、エジプトに移住します。ヤコブの最晩年の言葉はこうでした。

「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。今日この日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。すべてのわざわいから私を贖われた御使いが、この子どもたちを祝福してくださいますように。創世記48章15ー16節」

 

ヤコブの子どもたちはどのように生きたでしょうか。ヤコブの子孫は「古代イスラエル民族」となりました。彼らはエジプトで奴隷となり、帝国が支配する世界情勢の中で翻弄され、戦争と捕囚と内乱を何度も何度も経験しました。古代イスラエルのリーダーたちは、大国に頼り、私利私欲を求めていました。

しかし、私たちは、ヤコブとヤコブの子孫の「古代イスラエル」の人々に指を刺して、「この人たちは最低なやつだ」と言えるのでしょうか。「人を押しのけてでも、良いものを受け取りたい。身近な人への誠実さの欠如。私利私欲への誘惑。」自分の中にもどうしようもないヤコブのようなところがあります。また人間のどうしようもない姿を見るように思います。

ある聖書の教師はこう述べています。「わたしたちの時代は、人間が自分の力に頼ることしか知らず、『自分に役に立つか立たないか』で物事を決め、人を互いに利用し合うことも多くあります。しかし、そのような世界の中では、人間は本当に安心して、生きていくことはできません。」

神さまはこのような中を歩む人間を見捨てません。ヤコブの見た夢で、はしごは天から地に向かってかけられていました。そして、神は愚かなヤコブの横に来られました。神ご自身であられるイエス様が、人となってこの地上に生まれてきてくださいました。ヤコブと変わらないわたしたちのところにも、天からはしごをかけ、横に来てくださったのです。今も私たちと共にいて、わたしたちの内に生きていてくださいます。

人を押しのけるのでも、だますのではなく、誠実を尽くし、自分も人をも幸せにする生き方を与えてくださいます。私利私欲を求める心を乗り越える生き方。神を愛し、人を自分のように愛する生き方を与えてくださるのです。

もうすぐアドヴェント(クリスマスを迎える前の4週間)を迎えようとする私たちは、神さまの憐れみの深さを味わい、驚きつつ歩みたいと思います。決して立派ではなかったヤコブと共にいて下さった神さまは、わたしたちとも共にいてくださり、神の子であるわたしたちに、少しずつ少しずつご自身の忍耐、寛容、あわれみ、誠実さを私たちにも与えてくださいます。私たちは告白し続けたいと思います。「あなたはよく私たちを見捨てずに、共にいてくださいました。」「このあわれみ深い神様が、わたしたちの次の世代にも共にいてくださいますように。」と(先週は、こども祝福式でしたね。)今週も、招いてくださる神さまのみもと近くを歩ませていただきましょう。

5、うつし世をば 離れて あまがける日 来たらば いよよ近く みもとに行き 主の御顔を 仰ぎ見ん

 

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