毎日の聖書7月4日〜

おざく台教会毎日の聖書 7月4日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

7月4日(月)第2歴代誌13章

11節「彼らは朝ごとに夕ごとに全焼のいけにえを主にささげ、かおりの高い香をたき、並べ供えたパンを純金の机の上に整え、金の燭台とその上のともしび皿には、夕ごとに火をともしている。私たちは、私たちの神、主の戒めを守っている。それに反し、あなたがたはこの方を捨て去った」
 以前私が人を責める思いでいっぱいだった時、ある人が知恵の言葉をかけてくれました。「神があなたの側にいるか、相手の側にいるか、よりも、あなたが神の側にいるかが大切です。」私たちは日々悔い改め、神とその戒めを心から愛していますか?私たちは神に近づこうとしているでしょうか?自分と神様との関係を、まず第一に気にかけてください。

 

「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」ルカ12章31節

 

 

7月5日(火)第2歴代誌14章

2節「アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行い、」

 王たちは自分の目に良く見えること、自分に都合のよいことを行いましたが、アサ王は神にとって良いことを行いました。

 私たちは毎日どちらを選び取っていますか?神の目に良いことですか?自分の目に好ましいことですか?瞬間瞬間、自分自身に問いながら歩んでみてください。

 

「わたしは、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節

 

 

7月6日(水):第2歴代誌15章

4節「しかし、その悩みのときに、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を尋ね求めたところ、彼らにご自身を示してくださいました。

 私達は問題の解決を神に求めます。それはとても良い事です。けれども、子が親に求めているのは、食べ物や着る物以上に、親の存在そのものであるように、私たちが神に求めるべきは、解決や答え以上に、神ご自身です。最近いつ神ご自身を慕い求めましたか?今日時間を取り、神ご自身だけを求めてみてください。

 

「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。第2歴代誌7章14節

 

 

7月7日(木)第2歴代誌16章

9節「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」

立派なアサ王も、この時はアラムの王に拠り頼み、神を信頼することができませんでした。この文脈で、主と全く一つになっている心とは、神への信頼です。私達は何を頼りにし、何に安心を求めているでしょうか?
 神に信頼し、神と同じ心で歩めるように、祈ってみてください。

 

「イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。『恐れないで、ただ信じていなさ

い。』」マルコ5章36節

 

 

7月8日(金)第2歴代誌17章

6節「彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」

 神を愛するということは、神が喜ばれない、神を悲しませる、物や行為や慣習から、離れるという面もあります。私たちの生活において、そのようなものはあるでしょうか?問い直してみてください。

 

「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。」ローマ13章12節

 

 

7月9日(土)第2歴代誌18章

22節「預言者たちの口に偽りを言う霊を授け今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたの預言者たちの口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。

ユダの四百人の預言者の達の口から偽りが出ました。クリスチャンの口からも、あなたの口からも、人に都合のよい偽りが出るのです。信仰的な言葉を装い、自分の願望を実現しようとするのが私たち人間です。
 言葉は、知恵をもって賢く聞き分け、また用いましょう。信仰的な言葉を聞くとき、発するときはいつも問うてみてださい。それは神の都合ですか?私たち人間の都合ですか?

 

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、」第一ペテロ3章10節

 

 

7月10日(日)第2歴代誌19章

7節「今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行いなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」

 信仰者は、このさばきつかさのように、日々様々なことを判断し行動します。その時、何より大切なのは、主を畏れること、主に目を向け、ひざまずくことです。その時、私達は高慢さや自己中心、不正や罪、から自由になります。

 

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ(畏れよ)。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」伝道者の書12章13節

 

 

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