毎日の聖書 6月20日〜

おざく台教会毎日の聖書 6月20日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

6月20日(月)第1歴代誌28章

9節「わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。」

 神は私達の内なる思いも、隠れた動機もご存知です。表面的な立派さや、形だけの信仰生活は神の前に無意味です。むしろ、あなたの心を神から遠ざけてしまいます。

 弱くても、醜くても、汚れていてもよいのです。「私はあなたが必要です。」この告白から始め、神を求め続けましょう。神はあなたにご自分を表してくださいます。

 

「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」詩篇51篇17節

 

 

6月21日(火)第1歴代誌29章

11節「主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。」

主の祈りの最後の頌栄部分は、この部分から取られたとされています。生涯最後の大仕事の最中、ダビデは自分を誇らずに、神にのみ栄光を帰します。大きな失敗もあったダビデですが、最後の最後に心は神様としっかりと結びついていました。私達の毎日は、私達の生涯は、誰に栄光を帰していますか?

 

「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」マタイの福音書6章13節

 

 

6月22日(水):第2歴代誌1章

7節「その夜、神がソロモンに現れて、彼に仰せられた。『あなたに何を与えようか。願え。』」

あなたは日々、神に何を祈り求めていますか?栄誉や富、長寿や自分の願いの実現(11節)でしょうか?ソロモンはそれらを求めず、王としての使命を全うし神に栄光を帰すための知恵を求め、それは叶えられました。では、あなたが神に祈り求めるべきものは何でしょうか?ゆっくり考えてみてください。

 

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」第1ヨハネ5章14節

 

 

6月23日(木)第2歴代誌2章

6節「天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。」

晩年は堕落しますが、初期のソロモンの謙遜は見事です。それは彼の人格や父の教育以上に、神の偉大さを仰ぎ見たゆえ(5~6節)です。あなたはここ最近、人の前で、そして誰よりも神の前で謙遜でしたか?神の偉大さを仰ぎ見、ひれ伏す時間をとってみてください。

 

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」イザヤ45章22節

 

 

6月24日(金)第2歴代誌3章

1節「こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。」

 この場所はダビデの大失敗の場所です(Ⅰ歴代誌21章)。そこに神の宮が建ったのです。大失敗はダビデをへりくだらせ、最後の大仕事を誠実に成し遂げることにもつながりました。神はあなたの失敗すら用いられます。私達は多くの失敗をしますが、大切なのは失敗の後です。悔い改め、神に立ち返るのです。神はあなたの悔い改めを喜び、あなたを失敗を通してもつくりかえてくださいます。

 

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」第一ヨハネ1章9節

 

 

6月25日(土)第2歴代誌4章

16節「灰つぼと十能と肉刺し、およびそれらに属するすべての用具を、ソロモン王の注文により主の宮のために、彼の職人の長フラムがみがき上げた青銅で作った。」

 ソロモンの注文は父ダビデより与えられた神の命令(Ⅰ歴代誌28章11~19節)に基づいていました。私たちの人への言葉や指示は何に基づいていますか?いつも神の愛と、神の言葉に基づいていますように。

 

「 いっさいのことを愛をもって行いなさい。第一コリント16章14節

 

 

6月26日(日)第2歴代誌5章

13節「ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。」

 この雲は神の臨在を表します(出エジ40章34~35節)。聖霊の宮(Ⅰコリ6章19節)である私たちの内側も、この雲で満ちているとよいですね。私達の心が、神の愛と憐れみで満ち、私達の言動が、キリストに似たものとなりますように。

 

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」第二コリント3章18節

 

 

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