毎日の聖書11月29日~12月5日

おざく台教会毎日の聖書 11月29日~

アドベント(待降節)に入りました。クリスマスの箇所をゆっくりと読み黙想してみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

11月29日(月)マタイ1章18~20節

20節「彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」

結婚前に妊娠をしたことが発覚したマリア。ヨセフは事を荒立てず、マリアを守るため内密に離縁しようと決めました。ヨセフは、正しい人であり、人間ができる最良の応答をしたと思います。けれど、神様の示した最善の道は、マリアをそのまま迎え入れることでした。

私達は、誠実であろうとし、自分なりに最良の選択をしようとします。けれど、その前に立ち止まり、神様の最善は何か、祈り求めてみませんか?

 

 

11月30日(火)マタイ1章21~22節

21節「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

イエスという名は、「主は救う」という意味です。何からの救いでしょう?私達は救いと聞くと、私達の外側の問題、敵や、困難な状況からの救出を考えます(もちろんそれも救いの大切な一部です)。けれど天使は、救い主は私達を、私達の内側にある罪とその結果から救う、と告げるのです。そして、クリスマスに馬小屋で生まれた幼子は、人間の問題を解決しつつも、それ以上に私達の罪を身代わりに背負い十字架にかかりました。

私達は、問題を自分の外側に見出そうとしますが、私達の内側にも取り扱われるべき罪や醜さが存在しているのです。それらからの救いを体験する一日となるように祈ってみてください。

 

 

12月1日(水)マタイ1章23~25節

23節「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。」

神の約束した救い主は、インマヌエルと呼ばれると天使は告げました。神が豊かにしてくださる、でも、神があなたの敵対者をこらしめる、でもありません。神が共におられる、という意味です。

神様の与えた救いとは、あなたの環境を改善すること以上に、病める時も健やかな時も、乏しい時も富める時も、神様が共にいてくださることです。インマヌエルの神様は今この瞬間もあなたと共にあり、決して離れず、見放さず、あなたの手を取り続け、支え続けてくださるのです。

 

 

12月2日(木)マタイ2章1~2節

2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

博士たちは東の方から、今のイラクあたりから来ました。(バビロン捕囚されていたユダヤ人から伝え聞いた旧約聖書の預言をもとに旅をしたのではないか、と言われています。)彼らには立派な社会的立場があり、彼らの国には優れた文化があり、歴史ある宗教がありました。しかし、彼らは、時間や財力を犠牲にしてでも、はるばる旅をしてきました。城に行きましたが、導かれたのは馬小屋でした。出会ったのは立派な成人ではなく、何もできない幼子でした。それでも、博士たちはひれ伏して拝んだのです。

自分や周囲の常識に縛られない・・・なんと自由でしなやかな人たちでしょう!私達の心が神の不思議なご計画に対して開かれた一日となりますように。
 

12月3日(金)マタイ2章3~8節

3節「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。」

ヘロデ王は王という地位にこだわるばかりに、疑心暗鬼になり、妻やこども達、その他たくさんの人を殺しました。私達の内側にも、きっと小さなヘロデ王が住んでいるのだと思います。

神でなく自分が王となろうとする時は、自己中心と自己憐憫が心に巣食い、人との関わる動機は、愛でなく恐れとなります。しかし、もし飼い葉おけの幼子を拝むなら、その力無く生まれた神の前に膝をかがめるなら、私達の心を恐れではなく、神の愛が満たすのです。

 

 

12月4日(土)マタイ2章9~12節

11節「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」

黄金は幼子が王であることを、乳香は幼子が神であることを、没薬は幼子の死を、表しているとされます。そしてこの贈り物が、貧しい夫婦にとってエジプトへの逃避行の資金となりました。この贈り物がなければ、イエスの公生涯も、十字架も無かったかもしれません。

私達がキリストに捧げる宝は、神に覚えられていて、決して無駄にはならないのです。

 

 

12月5日(日)マタイ2章13~15章

13節「彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。』」

救い主キリストは、神に従ったヨセフとマリアの夫婦は、いきなり命の危機に直面し、見ず知らずの土地への逃避行へと旅立ちます。神の子でも苦難に遭うのです。神に従っている者も悲しみ悩むのです。ですから苦しみに直面したからといって、自分を責めたり、神の愛を疑わなくても良いのです。
3人がエジプトにいる間も、神様の守りはいつもあり、安全に立った時は、故郷に帰るようにと教えられました。安心してください。あなたはいつも神様の確かな手によって守られているのですから。

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