毎日の聖書11月22~28日

おざく台教会毎日の聖書 11月22日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

11月22日(月)ヨシュア記11章

15節「主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行い、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。」

ヨシュアは、神様の言葉を一言も取り除きませんでした。わたし達は地理的なカナンの地にはいませんが、私たちは救いという約束の地に入りました。そこでは祝福を妨げる、誘惑や内なる罪といった強敵と、戦わねばなりません。その際に妥協は命取りです。

聖書の言葉は、文脈や時代背景を踏まえつつ読む必要はありますが、神様を知ったわたし達なら、その箇所で神様が何を本当は伝えたいか、神様の心は何か、きっとわかるはずです。その神様の心に対して、妥協なく歩む一日となりますように。みこころが天で行われるようにわたし達の今日一日にも行われますように。

 

「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」マタイ6章10節

 

11月23日(火)ヨシュア記12章

6節「主のしもべモーセとイスラエル人とは彼らを打った。主のしもべモーセは、ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族に、これらを所有地として与えた。」

旧約の民のカナンでの戦いは、私たちの信仰生活の予型でもあります。罪に支配された領域を、神様の愛の支配へと勝ち取る戦いでもあります。子ども賛美歌「雄々しくあれ」には「神様の誓われた約束の地は、正しい信仰だ、清い行いだ」とあります。私たちは何を得ようとして、日々奮闘しているでしょうか?

 

「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」コロサイ1章13節

 

11月24日(水)ヨシュア記13章

1節「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」

年齢や信仰歴も重ねても、神様は私たちに今もこう語り掛けます。私たちの内側には変えられるべき性質ががあり、外側にはまだイエス様と出会っていない方々がたくさんいて、わたし達は絶えず神に必要とされているのです。さあ、今日はどの地(内なる罪や、失われた魂)を求めて出て行きましょうか!?

 

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」第二テモテ4章2節

 

11月25日(木)ヨシュア記14章

12節「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」

神の祝福は、一方的に与えられるものもありますが、神がわたし達に期待しているがゆえに、わたし達の応答が待たれているものもあります。人々が恐れる地へ、神の約束ゆえに出て行く老人アロン。あなたへの神の約束の場所、けれどもまだ応えられていなかった領域はどこですか?私たちも行きましょう。『主が私とともにいて』くださるのですから。

 

「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」申命記31章6節

 

11月26日(金)ヨシュア記15章

12節「また西の境界線は、大海とその沿岸であった。これが、ユダ族の諸氏族の周囲の境界線であった。」

境界線で区切られた土地、それは勝ち取り、守り、御心に沿って責任をもって治めるようにと、それぞれに与えられた土地です。同じようにわたし達の人生にも、神様から与えられた土地が、自分の境界線があります。

隣を気にしてばかりいたり、境界線を踏み越えてはいませんか?自分の土地(神からの使命)に、あなたの前に神様が置いてくださったあなたの道に、集中できていますか?その土地を神に任されたのは、その道を歩めるのは、あなただけです。

 

「イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」ヨハネ21章22節

 

11月27(土)ヨシュア記16章

1節「ヨセフ族が、くじで割り当てられた地の境界線は、東、エリコのあたりのヨルダン川、すなわちエリコの水から荒野に出、エリコから山地を上ってベテルに至り、」

「くじで当たった」ではなく、「くじで割り当てられた」です。私達に任された土地(家庭・親族・職場・教会)は偶然ではなく、神の計画によるのです。あなたは偶然今の環境にいるのではなく、神が愛と期待をもってあなたをその地へと遣わしてくださったのです。それぞれの地に神の国(神の支配する領域)が来ますように。神様が必ず成し遂げてくださいます。

 

「主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。・・・さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。」ルカ10章1,3節

 

11月28日(日)ヨシュア記17章

12節「しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。」

約束の地の占領は中途半端、古い居住者が残っています。それはやがての国家的な堕落へとつながりました。カナン人が古い肉の性質と、土地が私自身の中途半端な信仰生活と重なり悲しくなります。

この闘いを自分自身で戦おうとすると、失望するでしょう。けれど、神様と出会った私たちの内には、聖霊なる神様が住んでいてくださいます。そして、わたし達の古い罪の性質を、新しいキリストの似姿へと変えてくださるのです。今日、主が私たちを強め、霊的な戦いへと、再び立ち上がらせてくださいますように。

 

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」第二コリント3章18節

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