10月24日のメッセージ

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2021年10月24日「困難な時に知っておきたい聖書37~あなたのその力で~」

 

<聖書 士師記>

6:12 主の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」・・・6:14 すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 6:15 ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。」

 

<士師記>

士師記とは、ヨシュア記以降の約束の地のカナンでの歩みの記録です。

ヨシュアやその周辺の人々が生きている間は、人々は神様を愛し信頼して生きていました。しかし、ヨシュアの死後、現地の神々に仕え、好き放題をします。神様はイスラエルから手を引くと、現地の民がイスラエルを苦しめる。人々が叫ぶと、神様はその叫びを聞いて、士師(さばきつかさ:Judges)という指導者を起こし、一時的に勢力と信仰が回復します。そして、落ち着くとまだ堕落する。そんな、堕落、苦難、叫び、神の介入、回復、安定、堕落、というスパイラルを繰り返し、負のらせん階段を転がり落ちていく、それが士師記です。

ちょっと私達の姿と似ていますね。けれど、士師たちの存在や奮闘は決して無駄だったのではない。士師達は、決して立派な人物ではありませんでしたが、粗削りながらもキラリと光るものがあり、イスラエルの堕落を食い止める役割をしました。そして、士師記の後には、サウルやダビデなどの王様の時代につながるのです。

 

<私達に必要な勇気>

先日、教会の古本屋さんにあった『嫌われる勇気』というアドラー心理学の本を読みました。どのように人は変われるかというテーマで記され、日本では自己啓発本として250万部以上売れている本です。(これだけ自己啓発本が売れるのは、神様に素晴らしく造られた私たち人間には、神様が本来意図されたよりよい姿や、あるべき人間関係を求める渇望が、心の深いところにあるからなのかもしれません。)

アドラーはユダヤ人であり、本にも聖書の言葉やニーバーの祈り(『神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。』)も引用されるなど、信仰とも共通する内容も多く含まれます。

アドラー心理学は、勇気の心理学と紹介され、幸せになる勇気、勇気づけ、など『勇気』がキーワードとして出てきます。人が変わるには、変えられるには勇気が必要だというのです。

今日のお話でギデオンは、敵を恐れ、すっかり諦めて、現実から目を背け隠れていました。そんな彼に、神様は勇気を出して立ち上がるように、励ますのです。

 

<私達の人生もまた約束の地>

今日のギデオンの話は、単なるカナンでの闘いの記録ではありません。これは約束の地カナンが、罪と悪の支配から、神の支配へと移行していく話であり、神の約束が実現していくという意味で、私たち自身が造り変えられていくことと関係があるのです(例:こども賛美『雄々しくあれ』)。私達自身も、私達の生涯もまた、カナンの地であり、そこに神の力が、神の支配が広がっていくからです。私達の傷ついた過去が新しい意味を持ち、根深い罪の性質が変えられ、問題のある人間関係が回復していく、そのような戦いの話でもあるのです。

私達には、過去の失敗や、自分の弱さや罪があると思います。難しい状況や関係もあるでしょう。それらからに対して、ミデヤン人を恐れ隠れていた、ギデオンのように、どうせ私は変われない、この関係は回復しない、私は決して救われない、と、すっかりとあきらめてはいないでしょうか?

 

<あなたはどんな人か?>

神様は一人で逃げ出し、隠れていたギデオンに、自分は無理だと諦め、向き合うべき課題から逃げていた、ギデオンのところへやってきて、「勇士よ。」と語りかけました。

みなさんの名前にはそれぞれ意味が込められていると思いますが、ギデオンという名は「強い戦士」という意味を持っています。ギデオンの実際の姿は、弱く臆病だったかもしれませんが、神の目に映るギデオンは勇士だった、神が共にいるなら、名実ともにそうなれるのだと、神がギデオンを信じてくれていたのです。ギデオンは自分を臆病者だと思っていましたが、神様だけは彼が本当は何者であるか、いえ何者になれるか知っていました。

 

あなたは自分自身をどう見ていますか?つまらない者、価値のない者、意味のない者、何も出来ない者、結局は変われない者、神に愛されない者・・・・そんな風に自分を見てはいないでしょうか?

自分が自分をどう見るか、人が自分をどう言うか、それも大切です。けれどより大切にしたいのは、神様があなたをどう見ているかです。神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4と呼びかけてくださる。そして、聖書を通し、私達を、「わたしの愛する子」(マルコ1:11)、「聖なる者」(Ⅰコリント6:11)、「宝」(詩編135:4)、「神の子ども・・キリストに似た者」(Ⅰヨハネ3:2)と呼びます。キリストの愛と憐みを表す存在として、世界へと遣わしています。神様は私達一人一人をそのような者として見ています。神は私達一人一人をどんな時も信じているのです。

アドラー心理学では、存在そのものを尊び、どんなときも無条件に信頼してくれる存在こそが、人を勇気づけることができる、とありました。まさに今日の箇所の神様の姿であり、イエス様の姿です。

実際にギデオンは、最初は臆病者でしたが、神様が共にいてくださることを知り、疑いつつ、試しつつ、次第に神様の目に映るギデオンに、本当の勇士へと変えられていきました。人間は逆境の中で、弱さや醜さが現れます、どうせ私はとその状態にとどまってしまいます。だからこそ、難しい状況でこそ、本当の自分を見失わないでほしいのです。そんな時こそ神の声を聴くのです。

<あなたのその力で行き>

最初ギデオンは必死で弁明します。「私には無理です。私は弱く、小さく、力なく、つまらない存在です。私にはその務めはできません。誰かの他の人にお願いします。」

そんなギデオンに、「あなたのその力で行き」と神様は言います。そして続けます。「わたしがあなたを遣わすのではないか。」と、「わたしはあなたといっしょにいる。」

ギデオンの力がいかに小さくても、私たちの力がいかに小さくても、神様がいっしょにいてくださる。

この後、神様は32000人いた仲間を、10000人に減らします。その後さらに300人に減らします。神様にとって、私達が、これなら十分、これなら足りない、と考える基準とは違います。大切なのはいっしょにいるという約束です。神が必ず助けてくださる。

 

だから私達は、どうせ無理だと、自分が変えられることを、人間関係を、自分の救いを、諦めなくていい、別の誰かに任せなくてもいい、もっと成長したらと待たなくてもいい、今の自分の力で、今のままのあなたで応えるところから、始めればいいのです。自分の力で、罪に打ち勝てません。人間関係をよくしていくことはできません。自分で自分の魂を救うことはできません。それらは、キリストが共にいてしてくださることだからです。キリストと結びつくからこそ、実現していくのです。

主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。Ⅱコリント12:9~10

 

<ギデオン協会>

1898年秋、アメリカ合衆国ウィスコンシン州の小さなホテルで、見知らぬ青年同士(ジョン・H・ニコルソン、サムエル・E・ヒル)が偶然、相部屋となり、お互いがクリスチャンであることを知り、共に聖書を読み、祈ったことからギデオン協会発足の計画が生まれました。1899年5月に発会式をしましたが、その後参加したのは、ウィリアム・J・ナイツただ1人でした。この3名によって、クリスチャンで旅行する実業家たちが互いに交流を持ち、個人的にイエス・キリストを人々に証し、共に主イエスのために労しようとの決意が表明され、会の名称を「ギデオン(The Gideons)」と定めました。私(牧師)がはじめて手にした聖書はこのギデオン聖書でした。ギデオン協会の人が私の高校にやってきて聖書配布の許可を求めると、不思議なことに、先生たち自らが教室で配ってくれたのです。私はそれを受け取り、それがやがて信仰へとつながりました。

 

<あなたの角笛を吹く>

ギデオンは、神様に励まされ、「角笛を吹き鳴らし」(士師記7:19)ました。神様はそれを待っていたかのように、ミデヤン人の陣営を乱しました。

最後に聞きますが、あなたが恐れ、諦め、逃げ出している、あなたのミデヤン人は何でしょうか?

わたしたちもまたギデオンのように、自分の罪や古い性質に対して、過去の痛みや傷に対して、難しい関係に対して、自分や人の頑なな心に対して、そして、やがて来る死に対しても、神に信頼して角笛を吹くのです。

 

 

 

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