毎日の聖書10月18日~24日

おざく台教会毎日の聖書 10月18日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

10月18日(月)申命記10章

16節「あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。」

‟うなじのこわい“は、牛がくびきをかけられるのを嫌がり抵抗する、という意味の言葉で、神への心の固さ、を表現します。くびきが私達を苦しめ、悪い方向へと導くものなら、抵抗するのは仕方ないかもしれません。しかし、心優しくへりくだっている主イエスのくびきは負いやすく、最善へと私達を導くのです。神様に対してへりくだった先に、真の平安と自由があるのです。

 

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ11章28~30節

 

10月19日(火)申命記11章

19節「それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。」

私達は神様に出会っていて、神様は日々私達それぞれに語りかけてくださいます。今日神様は、あなたのためにどんなことを語りかけてくださっているでしょうか?今日、一つ聖書の言葉を選び、一日中口ずさみ、思い巡らしつつ、その言葉に沿って生きてみてください。

 

「まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」申命記30章14節

 

10月20日(水)申命記12章

30節「『これらの異邦の民は、どのように神々に仕えたのだろう。私もそうしてみよう』と言わないようにしなさい」

神様とまだ出会っていない方々の歩みにも、尊敬すべき点、学ぶべき点は多々あります。(罪の影響があるとはいえ、神様が心を込めて一人一人を創造してくださったのですから。)しかし、他の人のキリストが願わないような振る舞いや生活が、楽そうに、魅力的に、輝いて、見える時があります。

そんな時は、一息ついて考えてみてください。神はそれについて、どう見て、何と言っておられるでしょう?イエス様ならどうなさるでしょうか?

 

「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節

 

10月21日(木)申命記13章

3節「その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。」

 

様々な価値観に心が揺らぐとき、何かに強く惹かれそれらを求める思いでいっぱいになる時、立ち止って問い直してみてください。今あなたに導いているのは、神でしょうか?それとも別の何かや誰かでしょうか?それらは良いものかもしれません、けれどそれらに神様のかわりはできないのです。

宗教改革者は言いました。『あなたの心を縛るもの、それがあなたが本当に神としているものである。』私達が十字架で死なれたイエス様こそを第一とできますように。

 

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6章33節

 

10月22日(金)申命記14章

2節「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」

あなたは自分をどのように捉えていますか?価値のない存在?いても意味のない人?聖書には、私たちは神の目には宝のように映っていて、御子キリストと引き換えにしてまで、神は私たちを救ってくれたのです。どうか忘れないでください。あなたは尊い人です。

 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」イザヤ43章4節

 

10月23(土)申命記15章

7節「あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。」

必要を抱える人、お返しが出来ない人、に心と手を開き、与えなさいと神は語ります。その際、未練(10節)や邪念(9節)、は無用です。心配しなくても大丈夫です。「神は喜んで与える人を愛し」(第二コリント9:7)祝福してくださるのですから。

 

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」第2コリント9章7節

 

 

10月24日(日)申命記16章

19~20節「あなたがたはさばきを曲げてはならない。人を偏って見てはならない。・・・正義を、ただ正義を追い求めなければならない。」

私達は、能力や財産、地位や容姿などで、人を偏って見てしまいます。痛む人や苦しむ人でなく、華やかで豊かな人に目を向けてしまいます。しかし、正義の方であるイエス・キリストは、取税人、遊女、病人、被差別者の中に飛び込んでいきました。イエス様は人を偏り見ることなく、神様の視点で、一人一人を愛されたのです。私たちは誰かを偏り見たり、見下したりはしていませんか?忘れないでください。その方のためにこそ、イエス様は十字架にかかられたのです。

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」マタイ3章16節

Top