毎日の聖書9月27~10月2日

おざく台教会毎日の聖書 9月27日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

9月27日(月)民数記25章

7節「ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。」

ピネハスは、神(真理)のために怒りましたが、これを義憤ともいいます。しかし、義憤には謙遜と成熟とが求められます。歴史上多くの自称ピネハスが、自分の妬みや欲を主の怒りと勘違いし、軽率な行動で、神の民を傷つけてきました。怒りを感じたら、手や口を制し、祈り聞いてみましょう。この怒りは神の栄光のためですか?と。自分の不純な思いが混じってはいませんか?と。大抵の場合は、自分のこだわり、過去の傷、狭い了見、妬み、といったものが含まれているのです。人を責める前に、まず自分自身を十分に取り扱ってください。

 

「自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。」ルカ6章24節

 

 

9月28日(火)民数記26章

64節「しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。」

不信仰な世代はカレブとヨシュアを除き、荒野で死に絶えましたが、神は、再び多くの民が起こされました。荒野の40年、これは神に従う新しい世代を生むための40年でもありました。人生の荒野を通る日々、苦しみ多きその期間は、あなたのうちで新しい心が生まれるため、より神を愛し従うためにあるのです。きっと大丈夫。あなたの内にすむ聖霊なる神様が、苦難の時の味方なのですから。

 

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5章3~5節

 

 

9月29日(水)民数記27章

17節「主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。」

リーダーが羊飼いに例えられていますが、本当の意味であなたを導くことのできる最高のリーダーは、テレビに出ている専門家でも、ネットのインフルーエンサーでもなく・・最イエス様です。(詩篇23.ヨハネ10:11~)あなたの毎日は、ほかの誰でもなくこの方に導かれていますか?キリストに、神の言葉に、導かれる今日一日としてください。

 

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」ヨハネ10章27節

 

 

9月30日(木)民数記28章

2節「わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。」

日曜10時半からの礼拝や平日の集会は、素晴らしい伝統でありまし、大切な時間です。同時に、あなた自身の『定められた時』はありますか?生活の中で、時間を取り分けて、祈り、聖書を読み、賛美し、神様との関係を深めているでしょうか?もちろん忙しい中で、そのような時間を確保するのは大変かもしれません。しかし、犠牲を払った以上の豊かな報いがあることは確実です。ぜひチャレンジしてみてください。

 

「こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の主は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」マラキ3章10節

 

 

10月1日(金)民数記29章

1節「第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日(別訳:祝いの日)としなければならない。」

心や魂に疲れ、停滞感、閉塞感を感じ、神から離れている感覚があるのなら・・・「霊的な祝日」をとってみませんか?自分自身を日常生活から切り離し、神のしてくださった恵みの約束を再確認することに集中してみましょう。わたしたちは神様とのつながりなしには、いのちある歩みはできないのですから。

 

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」ヨハネ15章4節

 

 

10月2(土)民数記30章

2節「人がもし、主に誓願を・・するなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」

神は真実な方ですが(第2テモテ2:13)、私達はそうではありません。すぐに最初の心を忘れ、神に背きます。それでも、神は誓願をゆるされます。変わりやすいとはいえ、最初の心には真実が含まれているからです。何度失敗しても、何度でも最初の心に立ち返り、主に誓いながら歩んでください。

 

「あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。」黙示録2章4~5節

 

 

10月3日(日)民数記31章

2節「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。」

ミデヤン人は、イスラエルを偶像崇拝に引き込んだため、妥協した民に対し、モーセは迅速かつ完全に対処しました。これは私たち自身にも言えることです。神が罪を指摘したら、あなたの生活から速やかに罪を取り除いてください。妥協して残った罪の種は、やがて大きく成長し、私たちの命取りになりかねないのですから。

 

「新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。」第一コリント5章7節

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