毎日の聖書(9月20日~9月26日)

おざく台教会毎日の聖書 9月20日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

9月20日(月)民数記18章

20節「イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」

他の人やほかの信仰者がうらやましくなる時はありませんか?そんな時は、直接神に仕えるレビ部族が、地上の祝福の象徴である土地を持てなかったことを思い出してください。彼らの土地とは、彼らにとっての祝福とは、神ご自身でした。地上の祝福も大切ですが、そればかりを追い求めるなら、本当の祝福を見失うことになります。あなたは祝福だけでなく、祝福の源である方をすでに得ているのですから。

 

「この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。」詩編73篇26節

 

 

9月21日(火)民数記19章

19節「身のきよい人が、それを汚れた者に、三日目と七日目に振りかければ・・・その者は夕方にはきよくなる。」

「身のきよい人」はどこにいるでしょう?キリストだけです。私達「汚れた者」にはこの方による罪のきよめが必要です。最近、いつ神の前に悔い改めの祈りをしましたか?時間を取って告白と悔い改めをして、いよいよ神に立ち返ってみてください。

 

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」第一ヨハネ1章9節

 

 

9月22日(水)民数記20章

12節「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」

忠実に歩んだモーセもアロンも、民の身勝手さ・不信仰さのゆえにストレスが溜まっていたのでしょうか、軽率なことを口にし(詩篇106:32~33)、神の怒りを受け、約束の地に入れなくなりました。(究極的な意味での約束の地である、神の国にはもちろん入りましたが。)

私たちは生きていれば、様々なストレスを感じる出来事に遭います。けれど、その時こそ私たちの信仰が問われる大切な時です。困難の時こそ、一呼吸おいて、天を見上げ、あなたの信仰を発揮してください。

 

「。」ヨシュア1章9節

 

 

9月23日(木)民数記21章

9節「モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」

この青銅のヘビはキリストの予型です。(参考:ヨハネの福音書3:14~15)ところで、私達はキリストを「仰ぎ見」ていますか?見下ろしたり、適当に見てはいませんか?あなたのキリストを見る態度が、そのままあなたの信仰を表します。人間はギリシャ語でアンスローポス(顔を上にあげる存在)。私たちはキリストを見上げた時こそ、人間らしく歩めるのです。

 

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」イザヤ45章22節

 

 

9月24日(金)民数記22章

21節「朝になると、バラムは起きて、彼のろばに鞍をつけ、モアブのつかさたちといっしょに出かけた。」

バラムは、神の御心をすでに知っていました。しかし、お金や名誉に心奪われ、モアブのつかさたちと出かけたのです。あなたも、神の御心を、本当はどうすべきかを知っていながら、誘惑するものと「いっしょに出かけ」てはいませんか?あなたを誘惑するものとは、誰ですか?何ですか?その誘いを拒み、距離を取ってください。

 

「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。」ローマ13章12節

 

 

9月25(土)民数記23章

27節『さあ、私はあなたをもう一つ別の所へ連れて行きます。もしかしたら・・・』

バラクは、場所を変えれば、神の御心が変わるもしれないと考えました。しかし、場所を変えたところで、神の御心は変わりません。問題から逃げることは、解決をより難しくするだけです。すでに神の御心に気付いているなら、従うほかに良い方法はないのです。今日という日こそを、信仰の一歩を踏み出す、決断の日としてください。

 

「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」第二コリント6章2節

 

 

9月26日(日)民数記24章

11節「今、あなたは自分のところに下がれ。私はあなたを手厚くもてなすつもりでいたが、主がもう、そのもてなしを拒まれたのだ。」

バラムは神の御心を拒むことができず、バラクから退けられます。神のみことばに忠実であり続けることは、短期的には、利益を失うという代償を払うことになるかもしれません。しかし、損得を度外視して神に従うことを選ぶ者たちは、地上でも神が良くしてくださり、やがての天の御国でも計り知れない富を手に入れることになるのです。(参考:マタイの福音書6:19-21)。どうか、安心して神の御心を選んでください。

 

「自分の宝は、天にたくわえなさい。・・・あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」マタイ6章20~21節

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