毎日の聖書(9月6日~9月12日)

おざく台教会毎日の聖書 9月6日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

9月6日(月)民数記4章

49節「主の命令によって、彼は、おのおのその奉仕とそのになうものについて、彼らを登録した。」

天幕を担うという一見地味な(?)役割も、人々が神様を礼拝するためには、神の子として生きていくためには、欠かせない大切な奉仕でした。私達の日常のもまた、地味で目立たないかもしれません。けれどそれも、神様のすばらしさを表すために行うのです。祈りを込めて、今日一日を生きてみてください。

 

「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」Ⅰコリント10章31節

 

 

9月7日(火)民数記5章

2~3節「身を汚している者をすべて宿営から追い出せ。・・・わたしがその中に住む宿営を汚さないようにしなさい。」

この言葉が全てなら・・・私達は、聖書を手に取れません。教会に入れません。祈りだってやめましょう。私達は汚れた者なのですから。あなたも、私も、誰一人、神の前に立つ資格はいのです。

しかし、新しく恵みが表されました。汚れた私達を神はそれでも招きます。私達の汚れをイエスが引き受けたからです。汚れ、罪深いままでも、キリストの十字架のゆえに、私たちは神に出会えるのです。

 

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」へブル人への手紙10章19節

 

 

9月8日(水)民数記6章

24~26節「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」

この有名なアロンの祝祷(祝福の祈り)を、実際に時間を取って祈ってみてください。あなた自身のために。家族や親せきのために。友人や教会の人のために。そして、あなたに敵対する人のために。

 

「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」ルカ6章28節

 

 

9月9日(木)民数記7章

89節「モーセは、主と語るために、会見の天幕に入ると・・彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」

モーセと方法は異なりますが、私達も神と語る特権が与えられています。それは、みことば(聖書)と聖霊の導きを通してです。最近気になっている聖書の言葉はどの箇所でしょう?今、聖霊の導きを祈り求めてから、もう一度気になっていた神のみことばにゆっくり耳を傾けてみてください。

 

「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」Ⅰサムエル15章22節

 

 

9月10日(金)民数記8章

14節「あなたがたがレビ人をイスラエル人のうちから分けるなら、レビ人はわたしのものとなる。」

旧約時代、レビ人は祭司の奉仕のために聖別され主のものとなりました。ほかの人とは暮らし方も若干異なり、地上での富(土地)とは無縁でしたが、神を愛し仕えるという誰も奪うことのできない喜びが彼らにはありました。

新約時代、私達ははどうでしょうか。第一ペテロ2:9を読んで、自分の立場と使命を再確認してみてください。

 

「なたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」Ⅰペテロ2章9節

 

 

9月11(土)民数記9章

23節「彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。」

彼らのスケジュールは神様次第でした。現代に生きる私達は、先のことが分からないと不安に襲われます。しかし、全ては主が握っておられます。しかし、そこのことを私達は忘れがちなのです。今、将来への不安を感じていますか?「全てはあなたの御手にあります」と告白してみてください。

 

「地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。 海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。 ・・・主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。」詩編94篇5~7節

 

 

9月12日(日)民数記10章

31節「あなたは・・・私たちにとって目なのですから。」

霊的識別力に優れ、霊的な指針を与えてくれる人は存在します。(もちろん全ての信仰者のうちに、聖霊なる神様が住んでくださっているので、誰の言葉でも私たちは注意深く耳を傾けるべきです。)そのような人は成熟しているがゆえに、謙遜で、言葉は少なく、声は小さく、人の注目を集めません。けれど、私たちに神の真理に気づかせ、神に従う道を示してくれるのです。今週、人の言葉を注意して聞いてみましょう。その中に、か細い、しかし確かな聖霊の声を見つけられますように。

 

「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。」Ⅰ列王記19章12節

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