9月13日のメッセージ

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2020年9月13日「困難の時に知っておきたい聖書⑮~苦しみの中でこそ神を~」

 

<聖書 詩篇42篇>

42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。・・・

42:11 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。

 

<ファミリータイム 創世記>

39:1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。 39:2 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。 39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。 39:4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。 39:5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。

 

39:20 ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。 39:21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。 39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。 39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。

 

<苦しみの中でも、ごきげんよう>

この一週間、どのような心で、どのような表情で過ごされましたか?毎日ご機嫌だったという方はいたでしょうか?難しいですが、大切なこととも思います。

『上機嫌は大人のマナー』とか、『大人はみんな上機嫌』という言葉があります。(逆にゲーテは『人間の最大の罪は不機嫌である』と言いました。)

コロナを始め、大変なことが多い毎日です。そんな困難の中で私達は2つの選択があります。不安や恐れから、不機嫌になり、苛立ち、批判的になり、呪いをまき散らすこと。一方、状況や環境にもかかわらず、祝福となることも選べるのです。

あるカトリックのシスターはどのような時も、『ごきげんよう』と挨拶をするそうです。機嫌よくいることが難しいことは百も承知。それでも、神に造られた者として、どんな時も良い心であってください、人を祝福する者であってください、という願いと祈りがこめられているのだと思います。

 

<神が共にある>

今日のファミリータイムの創世記38章を読むと、ヨセフは災難だらけです。

ヨセフは兄弟に妬まれ、奴隷として遠い国エジプトへと売られます。

主人の妻に誘惑されしっかりと拒みますが、騙され牢屋へと入れられます。

牢屋で人助けをしますが、その恩を忘れられ、2年間も放っておかれます。

私達なら、ふてくされたり、投げ出したり、諦めたり、誰かを責めたりする状況。しかし彼は、そのような状況や環境の犠牲とはなりませんでした。

 

状況は大切です。(補足ですが、苦難とは神に見放されたことを意味しません。苦難イコール神の罰ではないのです。信仰を持っていても、いえ信仰ゆえにイエス様も、パウロも、モーセも、エリヤも苦労しました。)しかし、もっと大切なのは、38章には4度も繰り返される『主がヨセフとともにおられた』(2,3,21,23節)という言葉です。神は良い時だけでなく、悪いときも、奴隷生活でも、牢獄でも、「死の陰の谷を歩くことがあっても」(詩篇23:4)、「よみに床を設けても」(詩篇139:8)、どんな場所でも、どんな状況でも、共にいてくださるのです。ヨセフは神に支えられたのです。

私たちは今日読んだ詩篇42篇のように「絶望し」、「思い乱れている」時があります。奴隷生活や牢獄の中で、ヨセフも何度もそう感じたでしょう。しかし、そこは同時に主の「御前」なのです。顔を上げれば、そこには神が共におられるのです。

 

大切なのは、共にいてくださる神に目が向くか、その方に頼るかどうかです。悪名高いサウルともヒゼキヤとも、神はちゃんと共にいてくださった。けれど、まるで神が共にいないかのように、神を見ずに生き、人々にとっての呪いとなりました。私たちは苦難の中でこそ思い出したいのです。神が共におられることを。キリストは約束してくださいました。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:30

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」ヘブル13:5

 

<苦難の中でも祝福となる>

奴隷生活や牢獄の中で、ヨセフはただ神に支えられただけではありません。周囲の人の祝福の源となった、とあります。(補足ですが、ヨセフは社会的にも出世しました。ただ、神様を社会的成功をもたらす福の神ではありません。ペテロやパウロやモーセやエリヤは、誰よりキリストは社会的な成功とは無縁です。)ヨセフは出世とは、別の意味でも成功しました。その成功とはどのような状況の中でも、良い時も悪い時も、周囲の人にとっての祝福となるという成功です。(ヨセフの出世は、自分のためでなく、周囲の祝福のためです。)

ヨセフは苦難の中でも、誠実さや人に仕える姿勢を貫きました。きっと神が与える性質(御霊の実)を反映していたのだと思います。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22,23)その実が周囲の人を生かし、また神を知るという意味でも生かしていきました。

 

みなさんの毎日にも様々なご苦労があるかと思います。問題の解決に精一杯の時もあるでしょう。

けれど、どうか忘れないでください。私たちは一人ではなく、神とともに歩んでいることを。

そして本当の成功とは、結果や状況だけで計れるものではなく、私達がどうあったか、どう歩んだか、ということなのです。「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ6:8 シスターの語りかけは臨在の神からの語りかけです。「ごきげんよう。」

 

<今週の黙想> 毎日御霊の実を1つ選び、祈り求めつつその一日を歩んでください。

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