9月6日のメッセージ

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2020年9月6日「困難の時に知っておきたい聖書⑭~神と戦う、神が戦う~」

 

<聖書 イザヤ書41章10節>

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

 

<ファミリータイム 創世記>

32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。 32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。 32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」

32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」 32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」 32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。

32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。

 

<戦うわたし達>

コロナとの戦い、という言葉があります。コロナだけでなく、わたし達の毎日は様々な戦いの連続です。それぞれ日々努力し、忍耐し、奮闘しています。あなたは何と戦っていますか?どのように戦っていますか?

イスラエルという呼ばれる国があります。昔は、民族の名前でもありました。けれどもともとは、神がヤコブという人につけた新しい名でした。イスラの部分が「戦う」、エルの部分が「神」、「神と戦う」や「神が戦う」という意味です。

 

<神と戦う>

ヤコブはずっと戦ってきました。兄弟のエサウと、叔父のラバンと、だまし合い、押しのけ合いを繰り返してきました。生まれた時から兄のかかと(アケブ)をつかんでいたヤコブ(創世記25:26)肉体派ではないですが、人と争い、策をめぐらし、押しのける人物でした。周囲に祝福ではなく呪いを、平和ではなく争いをもたらす人物でした。

今日の場面でヤコブはもうすぐ兄エサウと対峙しなくてはならない。とうとう年貢の納め時です。そんな恐れ怯えていたヤコブのところに、夜になって神様がやってきて格闘します。

 

ちょっと不思議ですね。肉体派の兄エサウに比べてヤコブは頭脳派です。ユダヤの伝統ではこの時ヤコブはすでに80歳以上だったとも言われ、今の数え方と多少違うかもしれませんが、若くはありません。それ以前に、人が神に勝てるわけはありません。ただ肉体的な格闘だけを意味している訳ではなく、心や魂の戦いも、同時に意味していたようです。

訳も分からず戦うヤコブ。次第に相手は、祖父アブラハムや父のイサクを導き、自分にも度々語りかけてくれていた、神だと気付いたようです。この方に助けてもらいたい。神ならばエサウから守れるはずだ。いつの間にか肉体の戦いが、ヤコブが神に信頼しきれるかどうかの戦いになってきました。

ヤコブは神を諦めません。夜明けが近づきます。人が神を見れば死んでいます。神はこのままではヤコブが死んでしまうので諦めるように迫ります。しかし、ヤコブは言うのです。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」(創世記32:26)ヤコブの勝ちでした。

神との戦いは少し不思議です。愚か者でも、罪人でも神に勝つことが出来る。それは、神を諦めないことです。立派でなくても、格好悪くても、泣いてすがりつくことです。「彼は母の胎にいたとき、兄弟を押しのけた。彼はその力で神と争った。 彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。」ホセア12:3,4

本当は神の勝ちなのかもしれません。ヤコブの信頼を引き出したのですから。わたし達は問題や人と戦うことも大切です。しかし、神と戦っているでしょうか?

 

<神が戦う>

ヤコブは自分の力で戦い続けた人生でした。策略を巡らし、相手をだまし押しのけ、いつも勝ってきた・・・しかし、それは罪人としての戦いでした。

結果、親子も兄弟もバラバラ、夫婦関係は冷え切り、周囲とも問題だらけ、争いと呪いを生み出す人生でした。自分の行いの清算を逃れようと、贈り物で兄の機嫌を取り、もし無理ならば、自分の妻やこども達、使用人を盾にしてでも、自分は逃げようとするかのような情けない姿・・・

しかし、神との格闘がヤコブを変えました。「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。」創世記33:3今度はヤコブ自身が逃げ場のない先頭に立つのです。神が戦ってくださるから。自分の前には神が先立ってくださるから。

策略を巡らし、他を犠牲にしてでも逃げる、ヤコブ<押しのける者>から、罪人としての生き方から、イスラエル<神が戦う>、神が戦ってくださるという生き方への転換でした。そして、神はエサウの心も整えてくださり、兄弟は和解を体験しました。神が戦ってくださったのです。

もちろん、知恵や力を使います。努力もします。しかし、戦う意味や動機が違うのです。罪や恐れを動機とし、自分の欲望のためだけの戦いから、神への信頼を動機とし、自分が相手にとっての祝福となるための戦いです。

 

<あなたのためにも神が戦う>

このイスラエルと呼ばれたヤコブ、その生涯において私達の心に響く姿はほとんどありません。ヘブル書11章の信仰の偉人たちのリストにも、たった一言、触れられる程度です。それが民族名になり、神を信じる者達、わたし達は「霊的なイスラエル」(血筋ではなく、信仰による神の民)と呼ばれます。なぜ、モーセやブラハムではなく、ヤコブが、ユダヤ民族が、そしてわたし達がイスラエルと呼ばれるのでしょう?いえ、ヤコブだからこそです。愚かで、ずる賢く、醜く、情けない、そんなヤコブだからこそ、神が徹底的に関わり、心をつくり変え続け、先だって戦ってくださった。

「しかし神は、・・・この世の愚かな者を選び、・・・この世の弱い者を選ばれたのです。 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。」第一コリント1:27~28

あなたは神に選ばれたイスラエルです。神があなたのために今日も明日も戦ってくださるのです。

 

<今週の黙想> あなたに先立って歩み戦う神を覚えつつ、毎日をスタートしてください。

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