8月23日のメッセージ

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2020年8月23日「困難の時に知っておきたい聖書⑫~わたしたちの使命~」

 

<聖書 マタイの福音書5:13~16>

5:13 あなたがたは、地の塩です。・・・5:14 あなたがたは、世界の光です。・・・

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

 

<ファミリータイム 創世記>

28:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。 28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。 28:13 そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。 28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

 

<時には天を見上げて>

わたし達の神様は、空を見せるのが好きな方です。ノアに虹を見せたり、アブラハムに満天の星空を見せたり。雲の切れ間から太陽光が帯状に伸びて見える光景、とても幻想的ですが、「ヤコブのはしご」と言われ、今日のファミリータイムの箇所から名付けられました。

下を向いてばかりではいけない、時には天を見上げなさいと励ますかのようです。コロナ禍の中で、下を向いたり、視野が狭まったり、してはいませんか?今日の箇所で、神様はヤコブを、そしてわたし達の目を天に向けさせ、大切なことを思い出させてくれています。

 

そのヤコブさん。神様から別名をもらいます。その名はイスラエル。今では民族名や国名にもなっています。では、さぞ素敵な人かと思いきや・・・

25:22  母のお腹の中でまで争い合う兄エサウと弟ヤコブ

25:29~ 神からの役割を軽んじる兄エサウは、1度の食事と引き換えにそれを譲り渡してしまう。神からの約束の意味を理解せず、それを狡猾に自分のものにしようとする弟ヤコブ。

25:28 父イサクは兄を可愛がり、母リベカは弟を可愛がる。

27:1~ 夫に秘密で、お気に入りの弟息子と策略をめぐらす母リベカ。嘘をつきながら、兄が受けるべき、引き継ぐべき祝福を奪い取ります。

27:41~兄が殺意を抱き、弟は遠い町へ逃げ出す。

 

神様はどこかへ忘れられ、人間の自己中心な行動だけが展開しています。(まるでわたし達!)

もっと問題なのは、これか神様の選んだ祝福の源となるべき、家族と言うことです。この人達を通して、周囲の人が神様の愛を体験していく。恵みの神様に出会っていくはずの人達です。(わたし達信仰者もです。)ところが、祝福の源どころか、呪いの源となる。その家族を見て、人々が神を求め集まるどころか、逆に遠ざかっていく。地の塩、世の光とは、全く別の姿です。

 

<あなたは天と地をつなぐ梯子>

そんなヤコブに、神様は現われ、天と地をつなぐ梯子を見せます。愚かで、情けないヤコブ。あるべき場所を離れて、遠い地で惨めに野宿をするヤコブの「かたわらに立」ち(28:13~)神は語ります。

「地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」28:14~15

神はヤコブを信じていました。神はヤコブと共にいました。ヤコブを通して、周囲の人を祝福するのだと誓いました。ヤコブ自身がこの梯子のような役割を果たすために選ばれたのです。

神の選びとは、単純に品質の良いものを選ぶ選びではありません。スーパーで、良い野菜から売れていくのではなく、誰も買わないような、しなびた傷だらけの野菜を手に取る方。それを用いる方。

わたし達は自分の使命を忘れてはいませんか?自分を諦めていませんか?神は信じ、あなたを諦めてはいないのです。だからいつも共にいて、今日も礼拝へと招いてくださったのです。

 

あるハワイの大きな教会の忙しい日曜日、牧師が教会を歩き回り、保育係の人に、駐車場の案内係の人に、「今何しているの?」と聞いて回ったそうです。

「見ればわかるでしょ。預かった赤ちゃんのおむつを変えているんです。邪魔しないで。」「いいえ、あなたは普段忙しい母親が、一週間の内この一時だけは落ち着いて、神の言葉から平安や子育ての力を得る手助けをしているのです。ありがとう。」

「見ればわかるでしょう。車の案内をしているんです。ほら危ないからどいて!」「いいえ、あなたは人々が駐車場所だけでなく、神を探し求める手助けをしているのです。ありがとう。」

わたし達の毎日もこれと同じです。あなたはまるで、天からのはしごとして、地へと、それぞれの家庭、職場へと伸ばされているのです。

 

<キリストは天から伸ばされた梯子>

ヤコブに示されたこの梯子、大切なのはその向きです。「一つのはしごが地に向けて立てられている。」28:12梯子は、天から地へと伸ばされている。決して、地から天へではない。わたし達が神に到達するのではありません。神が天からいつでも手を伸ばし、憐みを注いでくださるのです。

キリストは言います。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」ヨハネ1:51

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6

天と地をつなぐ天からの梯子、人間がどれほど汚れていても、それを登り神と出会うことが出来る梯子、それがキリストであり、キリストの十字架です。神と出会うのに、神に救われるのに、わたし側の立派さではなく、天からの梯子が必要なのです。キリストによってこそ、わたし達は神の愛を体験するのです。

 

<今週の黙想>28章13~15節の語りかけを自分への言葉として聞き、毎日をスタートしてください。

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