8月2日のメッセージ

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2020年8月2日「困難の時に知っておきたい聖書⑨~あなたが何をしても~」

 

<聖書>

人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。 ヨブ記7:17

 

あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。詩篇8:3~4(他:詩篇144:3)

 

<ファミリータイム 創世記>

21:9 そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。 21:10 それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」21:11 このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは、非常に悩んだ。 21:12 すると、神はアブラハムに仰せられた。「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。 21:13 しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」21:14 翌朝早く、アブラハムは、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩いた。21:15 皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の潅木の下に投げ出し、 21:16 自分は、矢の届くほど離れた向こうに行ってすわった。それは彼女が「私は子どもの死ぬのを見たくない。」と思ったからである。それで、離れてすわったのである。そうして彼女は声をあげて泣いた。21:17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで、言った。「ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。・・・21:22 そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。

 

<失敗から得られるもの>

人生において、大きな失敗をしたことはありますか?何かうまくいかなかった経験を通して、自分自身を諦めてはいませんか?

失敗は成功の基、失敗は発明の母、などの言葉のように失敗から学ぶとことが大切です。(スポーツの世界でも<挑戦=成功><未挑戦=失敗>とも言ったりして、失敗を恐れるのでなく、失敗を通して大切なことを得たり、失敗が後につながる、ということをこども達に教えます。『しくじり先生』、という失敗から学ぶテレビ番組も人気ですね。)

 

ヘブル書11章に出て来る信仰の偉人たちは、たくさんの失敗を犯しました。ところが、そこから学んだか?いえ、失敗を通して、キリストのような人格に成長した!と言う人はほとんどいません。

続けて、罪や醜さを抱え、失敗を繰り返します。けれど彼らは、人格的以上に、信仰的には成長しました。人格は少ししか成長していなくても、神様は良い方だ、憐み深い方だ、その確信だけは心に、魂に、刻まれました。その確信は、やがて、一人一人の大切な決断へとつながります。

信仰のリストは失敗者のリストと言われます。しかし、失敗から、神は良い方だと学んだ信仰者達のリストです。

 

<またもや繰り返された過ち>

今日の箇所で、アブラハムは再び同じ過ちを繰り返しました。

  1. 20章で、妻サライを妹とウソをついて嫁に出した偽り。(14章に続き、2度目)
  2. 自分に子を産んでくれた使用人のハガルを追い出すという家族問題(16章に続き、2度目)。

サラから息子が生まれると約束されたのに、また妻のサラを嫁に出した。神様の計画より、自分の身が可愛かった。妻サラはそんな夫に愛想をつかしたのか、息子イサクに固執し、大切な家族の一員でもあるイシュマエルとハガルを家から追い出した。アブラハムの愚かさが家族に混乱をもたらした。

アブラハムの息子家族も、孫達も、みな家族関係に深刻な問題を抱えている。祝福の源となるはずの家系が、互いに、呪い合っている。

自分可愛さに嘘をつく、神様の約束を放り投げる、家族の問題に対処できず、泥沼化していく。祝福の源ではなく、呪いの源となったアブラハム。

 

<恵みの体験>

アブラハムにはどうしようも出来ない。妻のサラを嫁に出してしまった。もう子は生まれない。自分に子を産んでくれたハガルも、子イシュマエルも、危険な砂漠に送り出すしかない、彼らは死んでしまうだろう・・・彼には打つ手がなくなりました。

しかし、神様が良くしてくださった。

サラを取り戻し、アブラハムの命を守り、むしろ豊かにしてくださった。無事にサラから息子イサクが生まれた。

ハガルとイシュマエルの命を守り、繁栄させてくださった。

アブラハム愚かさにもかかわらず、神は見捨てずに、良くしてくださった。

 

アブラハムは、みなさんに読んでもらった箇所のように驚いたでしょう。

人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。

 

失敗の時、神様は罰でなく恵みを与える方です。恵みと、報酬とは違います。

報酬は、その働きに応じて与えられる報いですが、恵みとは、働きも、価値もない者に、むしろ罰を受けるべき失敗者に与えられるのです。個人としても家族としても失敗したアブラハム、しかし、神は価値なき彼に恵みを注がれた。

 

そして、価値なきときに愛されて人間は変わるのです。人が正しく歩もうとする、その動機は恐れでなく愛です。親や保育者からの叱責や罰ではなくて、親や保育者など大切な人を悲しませたくない、裏切りたくない、その思いが、正しい行動につながるそうです。(罰を恐れて動くなら、別の時や陰で繰り返すのです。)

 

<最大の恵み>

私達自身も考えたいのですが、アブラハムと同じではなくても、違う形で、偽り、神様の約束を放り投げ、様々な問題を起こし周囲に呪いをもたらしてきたとは言えないでしょうか。それでも神様はよくしてくれた。恵みとして良いものを与えてくださった。

そして、何より大きな恵みとして、キリストを送り、十字架で私達の罪の赦しを宣言してくださいました。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3:23~24)

この恵みが私達にも与えられているのです。

 

今日歌った、アメージング・グレース(Amazing Grace)を作ったジョン・ニュートン、もともとは奴隷船によって、多くの人の命と人生を奪ってきた、呪いの源でした。

けれど、キリストの赦しが自分にさえ向けられていることを知り、ショックを受けます。後に彼は奴隷貿易に反対する運動を起こし、牧師となり、賛美歌も作りました。

牧師としてのお話しは、上手ではなかったそうですが、情け深い人であり、困った人や苦しむ人のために走り回り、寄り添い続けたそうです。

 

彼は、神の恵みが溢れる天国には3つのアメージングがあると言いました。

  1. いないはずの人がいる。(罪人も受け入れられる)
  2. いるはずの人がいない。(自分を義人とする人は受け入れらない)
  3. わたしがいる。

赦された感謝と驚きが、彼の歩みの力でした、

 

ゲラルの王アビメレクは、嘘つきの、どうしようもないアブラハムに言いました。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。」(創世記21:22)

もうすぐ22章。アブラハムにとって人生のハイライトとなる出来事です。今まで受けてきた恵みが、その決断を支えるのです。恵みを知るからこそ、わたし達は信仰によって選択が出来ます。

何かを決断すること、何かを与えたり手放したりすること、何かを引き受けること、誰かを許すこと、誰かに手を差し伸べること、一つ一つが神はきっとよくしてくださるという信頼に基づくのです。

 

<今週の黙想> ①与えられている神の恵みを日々3つ数え、感謝の祈りを捧げ、②以下の恵みの箇所に思いを巡らし、一日を始めてみてください。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3:23~24)マルチン・ルターが「小さな聖書」と呼び大切にした箇所

 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。(エペソ人への手紙2:8)

 

そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。(ローマ人への手紙4:16)

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