毎日の聖書7月8日~15日

DSCF2615コロナも、災害も、そして毎日の生活も、大変なことが多いかもしれません。

そんな時こそ、神様の語りかけが胸に響いてきます。

新しい毎日の聖書です。

7月9日(木)詩篇74篇

16~17節「昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは月と太陽とを備えられました。 あなたは地のすべての境を定め、夏と冬とを造られました。」

伝染病や経済などこの世界の先行きに、あなたや家族などの将来に不安を覚えることはないでしょうか?しかし、忘れないでください。私たちが生きる世界は神が造られ、今も神の手の中にあります。この世界には神の許しなしには何一つ起こらないのです。一見難しい状況に置かれることもありますが、この世界を造られた方は、きっと神の子である私たちに良くしてくださいます。安心して神が造られた世界へと出て行ってください。

 

「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)

 

7月10日(金)詩篇75篇

2節「わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく。」

神のさばきとは、人間の悪意や高慢が渦巻く世界への正義と公正の実現です。神の国(神の支配)の到来であり、平和の完成です。

優れた統治者がいればその地域は安定し潤うように、私達の心にも、私達の毎日にも、愛と憐みに満ちた統治者が必要です。まず私達自身の内側に神の支配を受け入れましょう。平和はそこから溢れ流れ出ます。

 

「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」コロサイ1:13

 

7月11日(土)詩篇76篇

9節「神が、さばきのために、そして地上の貧しい者たちをみな、救うために、立ち上がられたそのときに。」

 

神のさばきとは、死後や魂の事柄だけではなく、この地上への正義の実現でもあります。神は痛む人、乏しい人、虐げられた人のために立ち上がり、キリストはこの人間の世界に、彼らのところへ来られました。私達の神は、痛む人や虐げられた人を放ってはおけず、立ち上がる方です。では、あなたは今日誰のために立ち上がりましょうか?

 

「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。(マタイ5:7)

 

7月12日(日)詩篇77篇

11節「私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。」

 

7~10節のように、神に見捨てられたと感じることはありませんか?そんな時こそ、今日この賛歌のように神が今まであなたにしてくださったことをゆっくりと思い起こしてみてください。疑いの雲は晴れ、この詩人のように神様への信頼がきっとよみがえってきます。

 

「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ4:2)

 

7月13日(月)詩篇78篇

38節「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。」

 

私達は何度神に背いたでしょう。どれほど神を悲しませ、失望させたでしょう。しかし、神は私達の弱さも、愚かさも、足りなさもご存知で、心を痛めつつも、憐みによって接してくださいます。今までも、これからも、何度過ちを犯し、失敗を繰り返してもです。憐み深い神を知り、その方から憐みを受けた私達は、そのような憐みの姿勢を、今日誰に向けましょうか?

 

「そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』」(マタイ18:32~33)

 

 

7月14日(火)詩篇79篇

10節「なぜ、国々は、『彼らの神はどこにいるのか。』と言うのでしょう。」

 

歴史を通し信仰者に投げかけられてきた言葉です。戦争の時、災害の時、人々が困難に直面した時、この声はさらに大きくなります。

しかし、そういう人は大切なことを見落としています。神は不幸を遠ざけ、幸福だけを運んで来る人間にとって都合の良い召使いのような神ではありません。むしろどんな状況でも、共にいて守り支えてくださる良いお方なのです。

神が今も私達と共にいてくださるということは、まぎれもない事実です。では、私達はそれが周囲に伝わるくらい、共にいてくださる方と親しく歩んでいるでしょうか?

 

「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)

 

7月15日(水)詩篇80篇

19節「御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」

 

祝祷でも用いる民数記6:24~26にある通り、神が私達にその御顔を向けてくださること、これこそが祝福です。

「自分はまた罪を犯した」「自分には愛される価値はない」そんなふうに考え、主イエスを裏切ったペテロのように自ら神の御顔を避けていませんか?キリストの十字架のゆえに、神はいつでもあなたに御顔を向けてくださっています。安心して、神の御顔を見つめてください。そこには溢れるばかりの愛と憐みが見えるのです。

 

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』(民数記6:24~26)

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