礼拝へのお招き・毎日の聖書
毎週日曜日は10時30分から、ZOOMでの礼拝に加え、会堂での礼拝もスタートしました。
1階10席、2階2席(ファミリーなら3~4席)までは、入れます。ZOOM画面も投影しています。
感染防止のため、マスク、消毒、換気、距離確保、お話しや讃美歌はささやく程度、などの対応をしています。
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人数調整がありますので、礼拝堂へのご参加を希望される方は、土曜日の内にご連絡いただけると助かります。
07055716102までお願いいたします。
6/25~7/1までの毎日の聖書です。
6月25日(木)詩篇60篇
12節「神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。」
ダビデは才能があり魅力的な人物でした。しかし彼は、神の力によって働きました。あなたの今日一日に、神の力を祈り求めましょう。そして夜には、神の働きを数え、感謝の祈りを捧げてみてください。
「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。・・・ しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:35,37)
6月26日(金)詩篇61篇
4節「私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ」
ダビデがサウルに追われていた嵐のような日々。しかし、どのような状況の中でも、神こそがダビデにとっての救いでした。私達にも、この嵐のような世界で、唯一平安のある場所があります。それは御翼の陰、神の懐(ふところ)です。祈りの中で天の父のもとへ歩いてください(ルカ15:20)。放蕩息子である私たちを、神は走り寄って抱きしめてくださいます。
「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」(ルカ15:20)
6月27日(土)詩篇62篇
8節「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。セラ」
信頼する、神に身を避ける、とは具体的にどういうことでしょう?ある牧師は、問題ない、悩みなどない、と自分を偽るのをやめ、弱さも、悩も、否定的な考えも、正直に神の前に注ぎ出すこと、と教えてくれました。神の前で裸になれた時、私たちは本当の意味で神に信頼できるのかもしれません。そして、キリストとともに肩を組んで立ち上がるのです。
「私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)
6月28日(日)詩篇63篇
6節「ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。」
夜は、人の頭や心が、思い煩いに支配されやすい時だそうです。嫌な出来事や、先への不安で頭がいっぱいな時は、神に心を向けてみてください。今日はどんな恵みがありましたか?3つ数え、感謝の祈りをしてから眠りについてみてください。
「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」(黙示録22:5)
6月29日(月)詩篇64篇
10節「正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心の直ぐな人はみな、誇ることができましょう。」
この世界には、さまざまな喜びがあります。趣味、美味しいもの、レジャー・・・、これらを楽しむのは良いことです。では、神にある喜びを体験していますか?神を愛し、キリストに従い、誠実や正義を選ぶ喜び、これは地上のどのような喜びにも勝っているのです。
「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(マタイ5:11~12)
6月30日(火)詩篇65篇
3節「咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」
自分の内には罪がある知ることは大切です。しかし、自分の心の弱さ・愚かさ・醜さに失望する時、自分の罪や過ちの大きさに押しつぶされそうになる時、同時に覚えておいてください。キリストの赦しの力はあなたの罪よりもはるかに大きいのだということを。私達は罪人です。しかし、「赦された罪人」(宗教改革者マルチン・ルター)なのです。
「神は・・・私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」(コロサイ2:13~14)
7月1日(水)詩篇66篇
18節「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」
私達は神を信じ、神の愛と赦しを体験しています。しかし「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:2)とあるように、自分の不義ゆえに神との交わりをしばしば断ってしまいます。だからこそ日々、瞬間瞬間悔い改めて(原意は「方向転換」)、神のほうを向きながら歩むのです。
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)