6月21日のメッセージ

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おざく台教会2020年6月21日「神が共にいるから」

 

<聖書>

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ教会への手紙4:12~13)

 

<ファミリータイム:お話し「ギデオン~立ち上がった臆病者~」>

6:11ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。 6:12 主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」・・・・6:14 主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 6:15 ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。(士師記6:11~16)

 

 

<withコロナでも>

ここ数か月、私達は新しい言葉をたくさん耳にしました。その中でも、一番とまどったのが、「withコロナ」や「コロナと共に」という言葉でした。教会で言う、「God be with you(神が共に)」ならばうれしいですが、「コロナが共に」と聞いて、ちょっと不安になりました。(その言葉が使われているのは、これからも感染拡大防止に気を付けて、という善意なのだと思いますが・・・)

私は不安があると、ファミリータイムのギデオンのように、逃げ隠れたくなります。苦労をしたり、責任を取りたくはない、出来れば隠れて、他の誰かにお任せしたい、そう思ってしまいます。問題や困難をきっかけに、私の心の中のギデオンがムクムクと表れてきます。

たとえ隠れたり、逃げたりしなくても、とにかく穏便にしよう、自分が批判されないようにしよう、とばかり考えて行動してしまう誘惑が、教会でも幼稚園でも、いつもありました。愛と思いやりという大切な動機が、恐れや不安や保身と言う動機に、変わりやすくなってしまうのです。問題が共にある時、私たちの生き方が揺らぐのです。

 

<with God>

しかし、神様がギデオンに大切な役目を任せたように、私達一人一人には、神様からゆだねられた大切な務めがあり、立ち向かうべき状況があり、愛し仕えるべき人がいて、「生きよ」(エゼキエル16:6)と言われた生涯があるのです。教会に関することだけでなく、日々の仕事。家族に愛し仕えること。必要を抱えた誰かに寄り添うこと。与えられた命を一生懸命生きること。それは他の誰でもない、私達一人一人への神様からの召命です。

問題は日々あり、心身の余裕を失う時もあるでしょう。けれど、コロナだから愛さない、貧しいから仕えない、調子が悪いから赦さない、という訳ではないのです。いえ悪い時だからこそ、問題が共にあるだけでなく、同時に神が共にいるということを覚えておいてほしいのです。

日曜礼拝の最後、「派遣の言葉」では「神がいつも共におられます」という言葉から始まり、「平和のうちに世界へと出て行きなさい、勇気を持ちなさい・・・」とみなさんを送り出します。神が共にいてくださるから、私達は嵐のような世界にも心の平和(平安)を持って歩むことが出来る、恐れ尻込みするような状況の中でも勇気を持って生きることが出来る、そう信じてこの式文の言葉を読んでいます。ギデオンが神様と共に、自分に与えられた役目に向き合ったように、私たちもまた、神様が共にいる、ということを握りしめて、毎日を生きたいと思います。「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」ヨシュア記1:9

 

<勇士よ>

神様は一人で逃げ出し、隠れていたギデオンンに、向き合うべき課題を他の人に任せて他人事のように振る舞っていたギデオンのところへやってきて、「勇士よ。」と語りかけました。

みなさんの名前にはそれぞれ意味が込められていると思いますが、ギデオンという名前は「強い戦士」という意味を持っています。ギデオンの実際の姿は、弱く臆病だったかもしれませんが、神の目に映るギデオンは勇士だった、紙が共にいるなら、名実ともにそうなれるのだと、神がギデオンを信じてくれていたのです。ギデオンは自分を臆病者だと思っていましたが、神様だけは彼が本当は何者であるか知っていました。

 

あなたは自分自身をどう見ていますか?つまらない者、価値のない者、意味のない者、何も出来ない者、そんな風に見てはいませんか?

自分が自分をどう見るか、人が自分をどう言うか、それも大切です。けれどより大切にしたいのは、神様があなたをどう見ているかです。神様は私達を、「神の子」、「聖なる者」、「キリストの似姿」と呼びかけます。キリストの愛と憐みを表す存在として、世界へと遣わしています。神様は私達一人一人をそのような者として見ています。神は私達一人一人をどんな時も信じているのです。

 

実際にギデオンは、最初は臆病者でしたが、神様が共にいてくださることを知り、疑いつつ、試しつつ、次第に神様の目に映るギデオンに、本当の勇士へと変えられていきました。

人間は逆境の中で、弱さや醜さが現れます、だからこそ、難しい状況でこそ、本当の自分を見失わないでほしいのです。いよいよ神とともに歩む時に、自分の本当の姿へと変えられていく必要があるのです。

<あなたのその力で行き>

最初ギデオンは必死で弁明します。「私には無理です。私は弱く、小さく、力なく、つまらない存在です。私にはその務めはできません。誰かの他の人にお願いします。

そんなギデオンに、「あなたのその力で行き」と神様は言います。そして続けます。「わたしがあなたを遣わすのではないか。」と、「わたしはあなたといっしょにいる。」

ギデオンの力がいかに小さくても、私たちの力がいかに小さくても、神様がいっしょにいてくださる。必ず助けてくださる。だから私達は、どうせ無理だと諦めなくていい、別の誰かに任せなくてもいい、もっと成長したらと待たなくてもいいのです。

この後、神様は32000人いた仲間を、10000人に減らします。その後さらに300人に減らします。神様にとって、私達が、これなら十分、これなら足りない、と考える基準とは違います。

 

今日聖書の言葉を記したパウロをすごい人物だと思うでしょうか?もちろんユダヤ教には精通していましたが、大きな大きなローマ帝国の中で見れば、ちっぽけな一人の人でした。お金はない。人脈もない。健康上の問題を抱え、医者ルカと一緒でないと旅が出来なかった。

それでも言うのです。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

これは私は何でもできるスーパーマンだという意味ではなりません。神が共にいるので、状況によって私がくじけ投げ出すことはないという意味です。そして、諦めない限り、神は私の想像を超えた善い業を、小さな私を通してもなしてくださる、という信仰です。

あなたの力や、周囲の助けが、どんなに小さくても、どんなに弱くても、心配しすぎなくていい。今与えられているその力で、神様の言葉に応えて出て行くのです。

 

<神様の不思議な業>

6年前、幼児園の責任を任されたとき、私は逃げたくて仕方なかった。地域の子育て世代からは認知されず、国や都などの行政からはお荷物扱い、新入園の年少組は2名だけ。経済的に足りない分を負担してくれる教会も大変そう。言い方は良くないですが、野球の敗戦処理投手の気分でした。

現在は、幼児教育無償化の枠に入り、園児も10名以上は入ってくれる。園児はイエス様大好きと言ってくれる。私の夢は優しい、愛のあるイエス様みたいになりたい、と言ってくれる(泣けますね。)けれど、私に経営手腕があったわけでも、人脈があったわけでもない。一生懸命汗をかくことだけはしたつもりですが、下手な手ばかり打って逆に周囲を振り回してきた。けれど、一つ言えるのは、不思議な助けがいつもあった。投げ出さないで本当によかった。私達の仕事は諦めないこと。「あなたのその力で行き」、あとは神様の不思議な業を待つことです。

 

<ギデオン協会>

1898年秋、アメリカ合衆国ウィスコンシン州の小さなホテルで、見知らぬ青年同士(ジョン・H・ニコルソン、サムエル・E・ヒル)が偶然、相部屋となり、お互いがクリスチャンであることを知り、共に聖書を読み、祈ったことからギデオン協会発足の計画が生まれました。1899年5月に発会式をしましたが、その後参加したのは、ウィリアム・J・ナイツただ1人でした。この3名によって、クリスチャンで旅行する実業家たちが互いに交流を持ち、個人的にイエス・キリストを人々に証し、共に主イエスのために労しようとの決意が表明され、会の名称を「ギデオン(The Gideons)」と定めました。私(牧師)がはじめて手にした聖書はこのギデオン聖書でした。ギデオン協会の人が私の高校にやってきて聖書配布の許可を求めると、不思議なことに、先生たち自らが教室で配ってくれたのです。私はそれを受け取り、それがやがて信仰へとつながりました。

 

<今週の黙想>あなたが向き合うべきミデヤン人は何ですか?「あなたのその力で行き」するべき務めは何ですか?

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