今週の「毎日の聖書」

日曜日:礼拝 10時半~

水曜日:聖書の会 10時~と19時~

Zoomでやっています。ご希望の方はご連絡ください。

 

今週の「毎日の聖書です。」

 

5月4日(月)詩篇8篇

3~4節「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」

大自然を、宇宙のすべてをつくり、今も保っておられる偉大な神。その方が、罪に汚れた人間に心を留めてくださる。それどころか人間のため十字架にかかってくださった、これは奇跡です。信じがたいほどの大きな愛です。あなたが信じられなくても、あなたは神の宝なのです。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」イエス・キリスト(マタイ6:26)

 

 

5月5日(火)詩篇9篇

9節「主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。」

キリストは、地上でどのような人に寄り添ったでしょう?貧しい人、立派に正しく歩めない人、病気や障碍を抱えた人、身を売って生きる女性、人生に失敗したと、笑われ、指さされ、のけ者にされた人達のとりでとなりました。苦しみや困難はないほうがいいに決まっています。しかし、それらに唯一良い面があるとしたら・・・神はそんな私たちを放ってはおかないということです。

「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」イエス・キリスト(マタイ5:4)

 

 

5月6日(水)詩篇10篇

4節「悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは『神はいない』の一言に尽きる。」

以前の私は、何かの神を信じると、1つの信仰や宗教を持つと不自由で不寛容になると思って言いました。しかし、人を不自由や不寛容にするのは、神ではなく、私達の内側の罪です。キリストは、罪と悪から私達を自由にしてくださいます。

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」イエス・キリスト(ヨハネ8:31~32)

 

 

5月7日(木)詩篇11篇

4節「その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。」

神様は私たちの心の奥底も、生活の隠された部分も、見通されます。私達の全ては神様の前にあり、私達の弱さも、醜さも、ちゃんとご存じです。それでも私達を冷たい目つきでにらむのではなく、あたたかなまなざしで愛されます。神のまなざしを感じつつ、今日一日を歩んでみてください。

「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」イエス・キリスト(マタイ10:29~31)

 

 

5月8日(金)詩篇12篇

4節「彼らはこういうのです。『われらはこの舌で勝つことが出来る。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。』」

高慢な言葉ですが、世界で最も大切な問いです。私たちがいつも気にし、心を向け、私たちの行動を方向づけているのは、何でしょうか?私達は、人物、団体、成功、地位、財産、健康、名声、などを求め、時に支配されているかのように振り回されてしまいます。「あなたの心を縛るもの、それがあなたの本当の神である。」(ルター)

今日一日も、神が私たちの、心を、頭を、生活を、全てを、キリストの愛が支配してくださいますように。

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」イエス・キリスト(マタイ6:24)

 

 

5月9日(土)詩篇13編

4節「また私の敵が、『おれは彼に勝った』と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。」

10~14篇には、神を侮った人間の言葉が、「」の中に記され、信仰者である詩人は苦しみ嘆きつつ、神にすがります。あなたはどのような(現在や過去の)人からの言葉に悩んでいますか?煮詰まるのでなく、復讐するのでもなく、神に心を注ぎ出してみてください。神の言葉に耳を傾けてみてください。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」イエス・キリスト(ヨハネ15:5)

 

 

5月10日(日)詩篇14篇

6節「おまえたちは、悩む者のはかりごとを、はずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。」

信仰には「しかし」が肝心です。目に見える状況が悪く、通常ならもう諦めるしかない。「しかし」神が私たちの避け所であるから、失望しないのです。あなたは、どのような状況に「しかし」と言いますか?どのような状況の中でも、神に頼りつつ希望を持って歩む時、あなたは世の光です。

「あなたがたは、世界の光です。・・・このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」イエス・キリスト(マタイ5:14~16)

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