毎日の聖書7月20日〜
おざく台教会毎日の聖書 7月20日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
7月20日(月)箴言13章
13節「みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。」
あなたは自分を賢い人だと思いますか?箴言では、賢い者と愚かな者との対比が繰り返されますが、それを分けるのは、知識の総量や読んだ本の数、社会的地位ではなく、神と神の言葉とに向き合う姿勢のようです。あなたは神さまと神様の言葉に、どのような姿勢で向き合っていますか?あなたは賢い者ですか?
「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」第一コリント1章27節
7月21日(火)箴言14章
14節「心の堕落している者は、自分の道に甘んじる。」
人は日々選択しながら、自分の道を歩んでいます。しかし、人生のある時、キリストの道を見つけます。そして、自分の足を、キリストの足跡に重ね、一歩一歩キリストの道をたどってゆくのです。時にずれたり、はなれたり、迷ったりすることもあるでしょう。けれど何度でも、なんどでも、キリストの道に戻るのです。それはいのちの道、永遠のいのちへの道なのですから。
「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」第一ペテロ2章21節
7月22日(水)箴言15章
16節「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。」
富や健康など、外的状況は大切であり、安心や余裕にもつながります。しかし、それらを自分の人生の土台、自分の神としてしまうなら、獲得に躍起になったり、失うことへの恐れなど私達を逆に不安定にします。より大切なのは、私達が主を畏れ敬い、与えられたものを主に感謝して生きているかどうかです。あなたは?
「不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。 私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」箴言30章8~9節
7月23日(木)箴言16章
20節「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」
箴言16章をゆっくりと読んでみてください。どのみことばが心に残りましたか?そのみことばを大切にして、 今日一日を歩んでみてください。神にある幸いを見つけられるはずです。
「主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」イザヤ40章7~8節
7月24日(金)箴言17章
17節「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」
あなたは今日、誰の友となり、誰の兄弟姉妹となりますか?誰の苦しみを少しだけ引き受けましょうか?祈りの中で聞いてみてください。そして神さまから示されたことを、一つ実行してみて下さい。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15章12~13節
7月25日(土)箴言18章
12節「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」
箴言では一貫して、高慢の危険と、謙遜の祝福が語られます。私達が神と人との前に、謙遜でいられますように。神の前にこうべを垂れ、ひざをかがめられますように。痛む人に寄り添い仕えることが出来ますように。謙遜を求め、今日の一日を過ごしてみてください。
「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」ヤコブ4章9~10節
7月26日(日)箴言19章
22節「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」
人間は良くも悪くも変わりやすい存在です。言動も、考えも、結婚式での誓いさえも、時に揺らぎ変わるのが人の常です。だからこそ、変わらない、揺るがない永遠のものを求めます。私達は変わらない神を知っています。私達の愚かさや罪にもかかわらず、変わらずに愛しぬき、十字架にまでかかられた方を知っています。あなたは今日、その永遠不変の燃えるような愛に、どのように応えましょうか?
「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」第二テモテ2章13節
