毎日の聖書1月9日〜

おざく台教会毎日の聖書 1月9日~15日

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1つ読んでみてください。お手元に旧約聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。

1月9日(月)詩篇92篇

14節「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」

 年齢や状況により、自分は力を失い、もう何もできない、そう思ってはいませんか?アブラハムは75歳、モーセは80歳で、神様に呼ばれました。彼らが特別だったから?いえ、彼らも弱い人間であり、加えて力や自信を失う年齢でした。 あなたがどれだけ弱くても、あなたと共にいる方は力強い方です。年齢、知識、才能、財力、人脈・・・それらは確かに、大切かもしれません。しかし、神が共にいるからこそ、あなたは祝福の泉、実を結ぶ存在、となれるのです。このことを信じますか?

「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:30~31)

1月10日(火)詩篇93篇

4節「大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさって、いと高き所にいます主は、力強くあられます。」

 昔も今も自然の力の前に人は無力です。ユダヤ人たちも、自然災害の前に、力なく立ち尽くした時もあったでし ょう。しかし、彼らはどうしたか?主への信頼の言葉と共に立ち上がりました。

コロナもあります。災害もあります。日常にもさまざまな困難があります。しかし、私達もこの言葉のように力強い主を告白し、立ち上がりたいのです。

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:37~39)

 

 

1月11日(水)詩篇94篇

9節「耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。」

 神から見捨てられている、放っておかれている、そう感じることはありませんか?大丈夫です。神はちゃんとあなたを見てくださっています。祈りも聞いてくださっています。恐れる時、落ち込む時、神のあたたかなまなざしを見上げてください。祈り、あなたの心を注ぎ出してください。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』(イザヤ43:4)

 

 

1月12日(木)詩篇95篇

6節「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」

 私達の世界には誇ろう、胸を張ろう、といった高慢や自己義認など上方向への招きが溢れています。しかし聖書はへりくだりや謙遜など下方向へと、片隅へと、私達を招きます。その低くなったところには、キリストがおられるからです。

「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」(ヘブル4:10)

 

1月13日(金)詩篇96篇

1節「新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。」

 聖書で最も多く登場する命令は、主を賛美せよ(ハレルヤ)、です。私達が神の愛と恵みを喜び、讃え、歌いつつ生きることは神の願い、私達の使命です。あなたは今日、どのような歌で神をほめたたえたいでしょうか?声に出して、賛美を神に向かって歌ってみましょう。

「悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから。」(ネヘミア8:10別訳)

 

 

1月14日(土)詩篇97編

11節「光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。」

 誠実な人が苦労し、悪や不正を行う人が栄える世界に、私達は葛藤します。しかし、キリスト教最大の神学者アウグスティヌスは悩みつつ答えました。『私たちは、善人だけに与えられるよいことを捜し出し、悪人に特有の邪悪なことから最大限の距離を置かなければならない。』 もちろん人のことも気になりますが、いかに目の前の一日を神と人に対して誠実に生きられるか、そのことに心を注ぎたいと願います。

「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ6:8)

 

1月15日(日)詩篇98篇

3節「主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。」

 たとえ死の谷の陰を歩むような日々でも、私達はやがての日に私達はこの賛歌を歌うことになるのです。真実(ヘブライ語でヘセド)とは、約束に基づいた神の変わらない愛、を意味する言葉です。神は度重なるイスラエルや私達の反抗や不信仰にもかかわらず、契約を忘れず愛しぬき、今までも、これからも守り助けてくださいます。必ず実現する確かな希望に目を向け、この詩篇を祈りながら、先取りして神をたたえてみてください

「見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』」(黙示録7:9~10)

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