おざく台教会 毎日の聖書 12月26日〜1月1日

おざく台教会毎日の聖書 12月26日~1月1日

1日1章、聖書を読んでみてください。その日の冒頭に載せた一文だけでも大丈夫です。

12月26日(月)詩篇78篇

38節「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。」

私達は何度神に背いたでしょう。どれほど神を悲しませ、失望させたでしょう。しかし、神は私達の弱さも、愚かさも、足りなさもご存知で、心を痛めつつも、憐みによって接してくださいます。今までも、これからも、何度過ちを犯し、失敗を繰り返してもです。憐深い神を知り、その方から憐を受けた私達は、そのような憐みの姿勢を、今日誰に向けましょうか?

「そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』」(マタイ18:32~33)

12月27日(火)詩篇79篇

10節「なぜ、国々は、『彼らの神はどこにいるのか。』と言うのでしょう。」

歴史を通し信仰者に投げかけられてきた言葉です。戦争の時、災害の時、人々が困難に直面した時、この声はさらに大きくなります。 しかし、そういう人は大切なことを見落としています。神は不幸を遠ざけ、幸福だけを運んで来る人間にとって都合の良い召使いのような神ではありません。むしろどんな状況でも、共にいて守り支えてくださる良いお方なのです。神が今も私達と共にいてくださるということは、まぎれもない事実です。では、私達はそれが周囲に伝わるくらい、共にいてくださる方と親しく歩んでいるでしょうか?

「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)

 

12月28日(水)詩篇80篇

19節「御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」

祝祷でも用いる民数記6:24~26にある通り、神が私達にその御顔を向けてくださること、これこそが祝福です。 「自分はまた罪を犯した」「自分には愛される価値はない」そんなふうに考え、主イエスを裏切ったペテロのように自ら神の御顔を避けていませんか?キリストの十字架のゆえに、神はいつでもあなたに御顔を向けてくださっています。安心して、神の御顔を見つめてください。そこには溢れるばかりの愛と憐みが見えるのです。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』(民数記6:24~26)

 

12月29日(木)詩篇81篇

10節「あなたの口を大きく開けよ。わたしが それを満たそう。」

 巣のヒナのように、池の鯉のように、一生懸命糧を求める。神に対してそのような期待をもって向かっているでしょうか?神が満たしてくださるという約束がすでにされているのです。諦めず、妥協せず、信仰の口を大きく開けて、神に祈り求めてみてください。

「私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」(ヨハネの手紙第一5:15)

 

12月30日(金)詩篇82篇

3~4節「弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ」

さばきとは、神だけでなく私達信仰者も担うものです。神の造ったこの世界に、罪で歪んだこの世界に、正義を実現するのは、私達信仰者の大切な務めです。

一方、教会は歴史を通し、さばきや正義という名目で、弱者や違う信仰の方を虐げてきたのも事実です。今日一日、罪人として遜りつつ、キリストの歩みに倣い、痛む人に寄り添い、神のさばきの業を担ってみてください。

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」(ローマ12:15~17)

 

12月31日(土)詩篇83編

2節「今、あなたの敵どもが立ち騒ぎ、あなたを憎む者どもが頭をもたげています。」

「神の敵」と聞いて誰やどこの国を思い浮かべますか?それらの人々を神はどう見ておられるでしょう?もしあなたが敵や悪とみなす人がいたとしても、その人の背後には、彼らを惑わす悪魔がいます(エペソ2:2)。そもそも神が敵意を置かれたのは、蛇(悪魔・罪)と人との間であり(「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。」創世記3:15)、人と人との間ではないのです。神は彼らを愛し、憐れんでいるのです。神を否定する言葉や態度をとる人々が、悪魔の支配から自由になるよう、とりなして祈ってください。

「ある人々が疑いを抱くなら、その人たちをあわれみなさい。 ほかの人たちは、火の中からつかみ出して救いなさい。また、ほかの人たちは、肉によって汚された下着さえ忌み嫌い、神を恐れつつあわれみなさい。」(ユダの手紙1:22~23)

 

1月1日(日)詩篇84篇

6節「彼らは涙の谷を通り過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。」

涙の谷(日頃の困難や苦悩)の中で、心も身体も涸れ果ててはいませんか?あなたの内には、すでに泉(ヨハネ4:14)があることを思い返してください。今日、時間をとって、その泉から、いのちの水を汲んでみてください。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)

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