毎日の聖書11月21日〜

おざく台教会毎日の聖書 11月21日~27日

1日1章聖書を読んでみてください。お手元に旧約聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。

11月21日(月)詩篇43篇

5節「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。」

 あなたの魂は今どのような状態でしょうか?あなたを絶望させるもの、思いを乱すものは何でしょうか?詩人は自分の魂に、信仰の言葉を語りかけました。あなたは自分の魂に何と語りかけましょうか?

「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:30~31)

11月22日(火)詩篇44篇

26節「立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。」

 私たちが神の救いや贖いを期待できる理由は、ひとえに恵みのゆえです。わたし達が良いことを成し遂げたからでも、清い心を持っているからでもなく、神が恵み深い良いお方で、一方的に私たちを憐れんでくださるからです。立派でなくて、正しくなくて、大丈夫です。ありのままのあなたで、大胆に神の助けを求めてください。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8~9)

11月23日(水)詩篇45篇

7節「あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。」

 あなたは何を愛し、何を憎んでいますか?何に心を向け奪われ、何から自分を遠ざけていますか?時に私達は悪を愛し、義を憎んでしまいます。私たちが、神の憐れみによって造り変えられていくことができますように。6~7節は、ヘブル1:8~9ではキリスト預言として引用され、スポルジョンは2~9節をキリスト賛歌と理解しました。2~9節をもって、神を讃えてみてください。

「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。』」(ヘブル1:8~9)

11月24日(木)詩篇46篇

9節「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」

 自分の感情、こだわり、恐れや不安などに翻弄される私達の心に、争い合い、裁き合う私達人間に、神はこのように語りかけます。あなたの心を乱すものに目と耳と心を向けすぎてはいませんか?不必要で不毛な争いにこだわってはいませんか?身体と心とを静かな場所に置き、神に心を向けてみませんか?

「汝ら静まりて、我の神たるを知れ。」神を礼拝し、争いの一日を、平和の一日に変えてみてください。

「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)

11月25日(金)詩篇47篇

1節「すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。」

 名曲『幸せなら手をたたこう』は、木村利人さんが戦争の爪痕残るフィリピンを訪れた際に、こども達が手をたたいて歌う姿に、この箇所から着想を得て生まれました。歌は「幸せなら態度で示そうよ。」と続

きます。あなたは神に出会った幸いを、どのような態度で示しますか?どのような歌で歌いますか?私達の生涯のすべてが、神の恵みへの感謝と喜びの応答となりますように。

「憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(ネヘミヤ8:10口語訳)

11月26日(土)詩篇48篇

12~14節「シオンを巡り、その回りを歩け。そのやぐらを数えよ。 その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。 この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。」

 私たちは自分自身のためだけに生きているのではありません。第一には神のため、そして神の恵みを周囲の人や、後の世代に語り伝えるためです。一時的なものも、もちろんとても大切です。しかし、永遠に残るものをこそ、第一にしたいです。今日、私たちの口が、行動が、神の恵みを証できますように。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(第一コリント13:13)

11月27日(日)詩篇49篇

15~17、20節「しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。・・・人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」

 ここで語られる悟りとは、この地上の目に見える生涯が全てではないこと、その先の永遠があるのだということです。この悟りは、わたし達を謙遜にし、わたし達の目と心を本当に価値あるものへと向けてくれます。そして、本当に価値ある永遠のいのちは、キリストのゆえに無償で差し出されているのです。

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26)

Top